top of page
《2019年石叫ライブラリー》日付をクリックすると『石叫』をお読みいただけます。
1月
2月
6月
7月
8月
9月
10月
11月
12月
1月
2月
2021.1.3 ローマ人への手紙1:16-17 杉村宰師 「私は福音を恥としな
00:00 / 19:27
2021.1.3 ローマ人への手紙1:16-17 杉村宰師 「私は福音を恥としな
00:00 / 19:27
2021.01.10 榊原宣行師 申命記24:22「救いを記憶して」
00:00 / 18:16
2/28/21
2/28/21
アーバイン日本語キリスト教会 Irvine Japanese Christian Church




Rev. Tsukasa Sugimura
- 11月26日
- 2 分
犬養道子 ②
モンロビアは、終点ロサンゼルスから、超特急のスピードでなら半時間ばかりの手前にある、1日に鈍行列車の客10人がいても、今日はみいりがいいと駅長のよろこぶような小さな駅であった。が、その町は常夏清澄のカリフォルニアの中でもぬきん出て、空気のよい谷間にあったから、名だたる結核サ...


Rev. Tsukasa Sugimura
- 11月19日
- 2 分
犬養道子 ①
1948年9月のある夕べ、由緒あるこのユニオン・パシフィック特急の2等個室に、(何しろ4晩5日かけて行く大横断だから、1等も2等も個室寝室。特等はサロンつき2室。共同のシャワーから床屋設備まである列車)ひとりの日本人女子留学生が乗り込んでいた。持っているのは善意のアメリカ人...


Rev. Tsukasa Sugimura
- 11月12日
- 2 分
岩木山
アメリカに帰る日が近づいたある日、買い物ついでに大鰐駅前のレストランに入って兄と私たち夫婦で一緒にランチをすることにした。そこは田舎に帰った時に、しばしば立ち寄るなじみの食堂だ。窓際に陣取って、いざ食事をしようとしている時だった。隣に座っていた啓子が、「あの谷間の向こうに見...


Rev. Tsukasa Sugimura
- 11月5日
- 2 分
姉の見舞い ③
僕は姉に孫たちから預かった手紙を渡し、アメリカの家族の近況を話したが、術後は疲れやすいので長居は無用だ。そのため二十分ほどで切り上げる。最後に姉の手を取って、主イエスの豊かな見守りを心から祈った。姉はその祈りにいつものように「アーメン」と応えてくれた。姉は十数年前に、長年、...


Rev. Tsukasa Sugimura
- 10月29日
- 2 分
姉の見舞い ②
1週間後の十月4日、従姉妹夫婦の運転で姉の訪問と相なった。午後から面会というので、その前に黒石市内の「こみせ」を観光することになった。そこは観光名所で、街の一画が雨雪を避けるために、店の軒の庇(ひさし)を道路まで張り出し、その下を通れば雨雪に濡れずに店頭を通り抜けできるよう...


Rev. Tsukasa Sugimura
- 10月22日
- 2 分
姉の見舞い ①
この二〇二三年9月末から、青森県の津軽にいる姉の見舞いのために、妻の啓子と共に三週間の予定で日本に一時帰国した。田舎へは五年振りの里帰りである。実は、母は3年前に九十九才で召されている。だが僕はコロナ禍で日本に帰ることも、葬儀に出ることもままならなかった。これまで津軽の田舎...


Rev. Tsukasa Sugimura
- 10月15日
- 2 分
パンクしたタイヤが変えた人生 ③
しばらく経って日々野青年は、青年リトリートに誘われた。他の教会の青年たちと知り合うよい機会だと思い、参加することにした。そこで彼は語られた樋田(といだ)豊治牧師の説教に心開かれ、それまで自分が犯してきた罪を示され、キリストに自分を任せなければならないと思った。だが、リトリー...


Rev. Tsukasa Sugimura
- 10月8日
- 2 分
パンクしたタイヤが変えた人生 ②
結婚式が終わると、すぐにも運送会社に戻り、タイヤを積んでアメリカ人夫妻のもとに行った。すでに日は暮れて気温も下がり、彼らは車の中で毛布にくるまって待っていた。日々野青年がタイヤをつけ終わると、彼らはとても喜び、修理代の他に、車に載せていたものをいくつか贈り物として彼にくれた...


Rev. Tsukasa Sugimura
- 10月1日
- 2 分
パンクしたタイヤが変えた人生 ①
今回は日々野正也牧師の証しである。先生はかつて近隣のウィンタースバーグ長老教会英語部で長年牧会され、また、以前は南部のアメリカ人教会で牧会しておられた神の器である。二〇一〇年に奥様の美恵子夫人を天に送られ、現在はお一人でパサデナに住んでおられる。かくしゃくとした九十二才であ...


Rev. Tsukasa Sugimura
- 9月24日
- 2 分
人に仕えよ
ある日、ゼベタイの母は彼女の二人の息子、ヨハネとヤコブを連れて主イエスのもとに来た。そして彼女の息子たちを御国において右大臣、左大臣にして欲しい、と嘆願したのだった。それに対して主は「あなたがたは、自分が何を求めているのか、わかっていない」(マタイ二〇・22)とお答えになっ...


Rev. Tsukasa Sugimura
- 9月17日
- 2 分
心の目が開かれる時
主イエスは、ご自分が十字架で殺されても、よみがえるべきことを知っておられ、それを予言されておられる。マタイ二〇章に「見よ、わたしたちはエルサレムへ上って行くが、人の子は祭司長、律法学者たちの手に渡されるであろう…そして彼は三日目によみがえる。」(18&19)とある。主は三度...


Rev. Tsukasa Sugimura
- 9月10日
- 2 分
中野明子夫人葬儀
九月二日(土)、中野雄一郎牧師夫人、明子先生の葬儀が執り行われるというので、前日の午後、ホノルルに向かい、ワイキキのホテルに投宿した。そこは僕がサンノゼ大学時代の一夏をバイトで過ごした街で、馴染み深かったこともあり、葬儀会場である「日本文化センター」まで歩いて行くことにした...


Rev. Tsukasa Sugimura
- 9月3日
- 2 分
主の豊かな憐れみ
マタイ二〇章にブドウ園のたとえがあり、そこにはどんなに神の憐れみが深くて大きいかが記されている。「五時ごろまた出て行くと、まだ立っている人々を見たので、彼らに言った。『なぜ、何もしないで、一日中ここに立っていたのか』」(6)と言うブドウ園の主人の言葉である。今回はそれを紐解...


Rev. Keiko Sugimura
- 8月27日
- 2 分
すべてをそぎ落とされても残るもの ③
この夜、私は初めて、ペテロの信仰告白がマタイ一六章16節で完成したのではなく、後に続く神様の愛と導きの中でペテロが自分の弱さや愚かさに気づき、そんな自分を主イエスが十字架でご自身のいのちを捧げるほどに自分を愛されたことを経験していく中で、「あなたこそ、私を罪から贖い、救って...


Rev. Keiko Sugimura
- 8月20日
- 2 分
すべてを削ぎ落とされても残るもの ②
そして、錦織先生ご自身の証しがありました。牧師家庭に育った先生は、成長と共に教会の奉仕も熱心にするようになり、バイブルキャンプなどで、他の先生からも「学(まなぶ)君、よく奉仕してくれるね、ありがとう!」と感謝され、心の中で『ぼくもなかなかよくやってるじゃないか』といい気持ち...


Rev. Keiko Sugimura
- 8月13日
- 2 分
すべてを削ぎ落とされても残るもの ①
二〇二三年の夏季修養会は「教会」というテーマでした。そこで最初の夜の聖会から、タイトルは「すべてをそぎ落とされても残るもの」から証しします それは、マタイの福音書一六章に記されたペテロの信仰告白に始まります。イエス様から「あなたがたはわたしをだれだと言いますか」と問われた時...


Rev. Tsukasa Sugimura
- 8月6日
- 2 分
人を裁くな
先日、あるユーチューブを見ていた時、心に響くこんな内容の話があった。 ある学校の数学の先生が黒板に十の問題と、その答えを書いていた。それを見ていた生徒がくすくす笑い出した。先生の最後の回答が間違っていたからだ。そこで先生が言った。「確かに先生の答えは間違っていた。だが、その...


Rev. Tsukasa Sugimura
- 7月30日
- 2 分
われは教会を信ず
今年二〇二三年の夏季修養会の午前中の講義では、日本ホーリネス教団の安井聖(きよし)先生がビデオ・メッセージをして下さった。使徒信条からのもので、「われは教会〜を信ず」とはどういう意味かを紐解いて下さった。日頃、何気なく唱えているものだが、改めて、その深い内容に唸らされたもの...


Rev. Tsukasa Sugimura
- 7月23日
- 2 分
み名のために
詩篇七九篇には、「われらの救の神よ、み名の栄光のためにわれらを助け、み名のためにわれらを救い、われらの罪をおゆるしください」(9節)とある。 これは聖都エルサレムが異邦人によって踏みにじられ、荒れすたれた時の嘆きの祈りであり、それはイスラエルにとって、耐えがたい屈辱であった...
bottom of page