かつて「どうして人を殺してはいけないのか」という質問が、日本で取り沙汰されたことがある。さまざまな雑誌で取り上げられたが、その答えはいろいろで、説得力のあるものはなかったようだ。これは実は人類の難問なのである。
これについてドイツの哲学者イマヌエル・カントは「ダメなのは当たり前のことだからダメなのです。人を殺してはいけないことに、理由などありません。人間の義務です」。一方、『異邦人』を書いたフランスの哲学者アルベール・カミュは言う。「たとえ殺人が悪だとしても、それが無意味かつ無益にただこの世に存在すること自体は認めざるを得ない」と。哲学者すら一致した答えがない。
人であれば、誰しも、人を殺してはいけないということを本能的に知っている。だが、国の命令によって出兵しなければならなくなった時に、敵を殺すことが正義となり、英雄となるが、かたや平和時に人を殺すと大罪になる。これほど大きな矛盾はない。これに対しても人は明確な答えを持っていない。
というのも、本来、戦争それ自体が狂気であり、人の欲から出たものであり、大義がないからである。だから戦争になると人は混乱し、迷うのである。
十字架上で主は「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」と叫んだが、「もし人が、自分は何か知っていると思うなら、その人は、知らなければならないほどの事すら、まだ知っていない」(1コリント八・2)とある。神を知らなければ知ったことにならないからだ。
一方、クリスチャンの小野弁護士(銀座ウィザード法律事務所)によると、「私はクリスチャンですので、その観点から書きますと、神によって造られたものはいずれも尊重されなければならないですし、人を殺すことは、神に逆らう行為であり、天罰を受けるに相応しい行為だからです」と語っている。
パウロは「上に立つ権威に従うべきである」(ローマ一三・1)と命じているが、その上に神の権威があることを忘れてはならない。その権威とは、「自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ」(同8)である。本来、敵とはもともと人の作り上げた幻想であり、隣人をも愛せない、あなた自身こそが問題だからである。神が「ならぬ」と言われるのならば、文句なく「ならぬ」のである。
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