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み名のために

更新日:2023年7月28日

 詩篇七九篇には、「われらの救の神よ、み名の栄光のためにわれらを助け、み名のためにわれらを救い、われらの罪をおゆるしください」(9節)とある。

 これは聖都エルサレムが異邦人によって踏みにじられ、荒れすたれた時の嘆きの祈りであり、それはイスラエルにとって、耐えがたい屈辱であった。

 人類の歴史は、隣国からの攻撃も去ることながら、神を信じる者同士が互いに争ってきた嘆かわしい歩みでもあった。例えば、ウクライナ侵攻を正当化させるために、プーチン大統領が睨みを効かせている中で、ロシア正教の大祭司が祈りを捧げている。一方、ウクライナでは、イースターに十字を切って神に祈りを捧げているシーンをニュースで見た。この両者の祈りを神はどのように聴かれるのだろうか。とかく私たちは自分のため、自国のために神に祈りを捧げる。人類の歩みはこうした祈りを絶えず捧げてきた真逆の歴史でもある。

 だが「み名のため」という祈りは、神のみ旨にかなったものでなくてはならない。聖書を外れて神が聴かれるはずはないからである。聖書の中で最も大切な命令である「自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ」(マタイ二二・39)は、自分が神から命をいただき、愛され、赦され、励まされているように、隣人も同様に、神の愛の対象であることを忘れるな、という意味である。だが、歴史上、国家のリーダーたちがこのみ言葉を実践することはあまりない。

 あまり、と言ったのはこのみ言葉を実践した人物がいたからである。その一人が蒋介石総統である。終戦を迎えた一九四五年八月15日、天皇陛下の玉音放送一時間前のこと、彼は四川省の重慶で、ラジオを通じて全中国人民に呼びかけた。「なんじの敵を愛せ」という聖書の言葉を引用し、「日本人を痛めつけたり、傷つけたりしてはならない。そうすることは私が決して許さない」と言って、彼は一銭の賠償も求めず、中国本土にいた二百万の日本人兵士とその軍属をそのまま無傷で返したのである。それは彼が心から尊敬するクリスチャンの賀川豊彦がいたからであり、彼がいる限り日本に復讐はできない、というのだった。「み名のため」という祈りは、「自分を愛するように隣り人を愛せよ」というお言葉を抜きにしてはあり得ない。このみ言葉の実践こそ平和の鍵である。

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