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われは教会を信ず

 今年二〇二三年の夏季修養会の午前中の講義では、日本ホーリネス教団の安井聖(きよし)先生がビデオ・メッセージをして下さった。使徒信条からのもので、「われは教会〜を信ず」とはどういう意味かを紐解いて下さった。日頃、何気なく唱えているものだが、改めて、その深い内容に唸らされたものである。

 使徒行伝二〇・28に、「聖霊は、神が御子の血であがない取られた神の教会を牧させるために〜」とある。私たちが毎週、礼拝を守っているアーバイン教会というのは、主イエスの尊い十字架の血潮で買い取られたものであり、教会に出席する一人ひとりは、イエス・キリストの遣わした聖霊によって導かれた群れだ、というのである。そうなのだ。私たちが礼拝を守っているその背後には、今も、この時も聖霊の豊かな導きがあると言うのである。それにアーバイン教会の今年の聖句は、「なたがたはキリストのからだであり、ひとりびとりはその肢体である」(1コリンと一二・27)とあるように、私たちはキリストを本体とする、無くてはならない教会の大切な大切な肢体だというのであった。

 パウロは使徒行伝二〇章の背景にあるエペソ教会にも、これから容赦なく荒らす者が起こり、曲がったことを教える者が出てくるであろうが、教会は主の尊い犠牲によって建てられたのであり、聖霊がそれぞれの人を導いておられるのだから、どんな問題が起こっても、私は教会を信じているよ、と言う。

 私たちクリスチャンは聖霊によって教会に遣わされている者であり、奉仕する者も、しない者も、すべてがアーバイン教会に任命されている。あなたは自分の意思で、ここに来ている、と言うかも知れない。だが、その背後には神の聖霊が現在も豊かにあなたの上に働いていることを知るべきであろう。だから今年の夏季修養会のテーマではないが、「教会って素晴らしい」のである。

 さて、お互いは教会だけに遣わされているのであろうか? 否、そうではあるまい。教会のみならず、家庭に、職場に遣わされているのである。真実なキリストの愛は、その置かれた所どこででも華を咲かすべきだからである。だから、主があなたの置かれたその場所で真実に、誠実に主に喜ばれる生き方をし、主の建てられた教会を信じて、その素晴らしさを証してゆこうではないか。

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