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サマリヤの女性 ①

 ヨハネの福音書四章には、井戸端でサマリヤの女性に話しかける主イエスの姿が描かれている。僕がいつものように、聖書日課に沿ってその箇所を読んでいた時だった。ふと示されたことがあり、そこを原語で調べてみると、そこには驚くべき主イエスの愛と憐れみが隠されていたことを知ることができた。今回は、日々の日課でこそ得られる神の恵みの一コマをご紹介したいと思う。

 イエスの時代、エルサレムを中心とする地域に住むユダヤの人々は、北に位置するサマリヤの人々とはいっさい交際しなかった。イエスの時代から遡ること約千年、紀元前930年にユダヤは北イスラエル王国と南ユダ王国に分裂した。ダビデ王の後を継いだソロモンが、神の命令を聞かず、外国の女性を愛し、彼らの神々に従い、真の神への信仰を失ったことが、その最大の原因である。

 北王国の人々は南王国と同じユダヤ人であったが、紀元前8世紀にアッシリヤ帝国に占領され、首都サマリヤは陥落し、アッシリアの国策によって近隣諸国の異邦の民が入ってきた。そして、北王国の人々は彼らとの結婚を通して民族の純粋性を失い、信仰的にも、唯一の神を信じる本来の信仰から離れていった。それ以来、イエスの時代のユダヤの人々は、そうした背景を持つサマリヤの人々をさげすみ、交際は愚か、彼らの土地を通ることすら避けたのだった。

 ヨハネの四章に、「しかし、イエスはサマリヤを通過しなければならなかった」とある。主は、それまでの歴史的事情は意に返さなかった。だが、当時のユダヤ人の常識や慣習に反してでも、サマリヤを通らねばならなかった大切な理由が幾つかあったからだ。それは、スカルという町で、人々からさげすまれ、嫌われていた一人のサマリヤの女性を救いに導くためであった。主は名もない失われた一人の女性だからこそ救いに導きたいのである。主は一人ひとりに目を留めて救いに導くのが、主の愛の配慮であり、その彼女を通して、長い間ユダヤ人から見下されてきた、かつての神の民であったサマリヤの人々に福音を伝えることであった。救い主にとっては、ユダヤの民だけではなく、サマリヤの人々も救いの対象であり、どんなに不信仰であったとしても、主は決して彼らを見捨てることはしないで、主みずから福音の門戸をひらこうとしたのである。

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