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タッキーのやっぱり聖書でしょ

「十年選手」という言葉がありますが、これは例えばスポーツや特定の職業などで10年以上の選手生活やキャリアを持つ人のことで、長年その仕事や道に従事し、豊富な経験を積んで熟達した人のことを指します。十年間も何かをしていれば、かなりのベテランです。やはり年数というのは大事だと思わされます。


「聖書を伝える、聖書を教えるのは牧師(のみ)の役目だ。神学校に行った者のみが聖書を教える資格があるんだ」という、日本のキリスト教界にある間違った偏見をなくして欲しいとボクは常々思っています。「神学校やバイブルスクールに行ってないと、聖書を教えられない」という間違った思い込みが、大なり小なりありませんか?日本の教会では、「献身者」と「一般信徒」と二分化してしまっているところに、この悲劇の始まりがあると思うんです。


新約聖書の「ヘブル人への手紙」5章12節にこうあります、

「あなたがたは、年数からすれば教師になっていなければならないにもかかわらず・・・」

この箇所は、信仰の期間が長いのにもかかわらず成熟しておらず霊的な成長が止まっていて、基本的な教理を学び直さなければならないクリスチャンたちへの戒めが書かれていますが、ボクがこの箇所で興味深いなぁと思ったのは「年数からすれば」という点です。

聖書を教える人になる条件は何でしょうか?神学教育の卒業証書でしょうか?牧師や聖書教師という肩書でしょうか?もちろんそれも大事な時があるかもしれませんが、ここには「年数からしたら」とあります。

ヘブル人への手紙が書かれたのはいつでしょうか?西暦60年代だと言われています。イエスが十字架で死なれた後、教会が生まれてから約30年後です。皆さんや皆さんの周りにいるクリスチャンで、クリスチャン歴が20~30年という人たくさんいませんか?

例えば、皆さんに何か20年~30年続けてきた趣味や習い事がありますか?もしそれだけ長くやっていれば、その分野ではかなりの知識があるはずです。そして、それを伝える資格は十分にあるはずです。それにそこまで長くやってきた趣味なら、多分他の人たちにも伝えたくなるでしょうし、一度話し始めたらもう止まらなくなるくらい熱中してシェアし始めるのではないでしょうか?仕事でそれだけ長い間やってきたなら、かなりのベテランです。熟練者、エキスパート、匠です。

逆にもし、ある趣味をずっと何十年もやってきて、その楽しさを他の人にも伝えたいと思っているのに、誰かから、「あなたにはその分野で正式な修了証書がないから、他の人に伝えたり教える資格はない」と言われたらどう思いますか?それはおかしいですよね。その年数から来る経験は、その分野いおいて色んなことを語るに十分な資格であるはずです。聖書を伝えることについても同じです。

クリスチャンとして数年やってきている皆さん、また十年選手、もしくは二十年選手、三十年選手の皆さん。聖書の話をシェアする、伝える、教えることについて「自分にはその資格がないなぁ」とか、もし思っているのであれば、そのような固定観念は捨てましょう。皆さんには、何年何十年という長い年数をクリスチャンとしてやって来たという資格があるじゃあありませんか。

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