しばらく経って日々野青年は、青年リトリートに誘われた。他の教会の青年たちと知り合うよい機会だと思い、参加することにした。そこで彼は語られた樋田(といだ)豊治牧師の説教に心開かれ、それまで自分が犯してきた罪を示され、キリストに自分を任せなければならないと思った。だが、リトリート期間中は、公に決心を言い表すことにためらいを感じ、家に帰ってから説教を思い起こして、彼としては精一杯の思いでイエス・キリストを心に迎え入れたのだった。その後、樋田牧師のところに行って、自分の決心を伝えた。数年後、アメリカに留学してから知らされたことだが、エドナは彼の回心のために彼女の教会で熱心に祈っていたのである。その祈りは神に聴かれ、日々野青年はキリストを信じて、一九五〇年に洗礼を受けて、晴れて金城教会の会員になった。
まもなくして日々野青年は、樋田牧師からサンデー・スクールのクラスを受け持つように言われ、青年会のメンバーの助けでクラスを教えることになった。そのうちに、彼はもっと聖書の勉強をしたいと思うようになり、大阪の聖書学校に問い合わせてみると、クリスチャンになって最低二年経っていることが必要だと言われ、そのためには二年近くも待たなくてはならないことを知った。
日々野青年がエドナに手紙を書いて、そうした事情を説明すると、驚いたことに、彼女はチャタヌガの自宅の向かいに聖書大学があることを知らせてきた。エドナは大学に願書をもらいに行き、日々の青年にぜひ出願するように言ってきた。その大学は、「テネシー・テンプル・カレッジ」といい、数週間後に彼は入学許可を受け取ったのだった。大学は外国人学生対象の奨学金まで提供してくれ、キャンパス内で週三十時間の仕事もできるよう取り計らってくれた。
当時、日本からアメリカまでの船賃は三百五十ドルかかった。それに西海岸からテネシーまでの汽車賃も必要であった。日々野青年の義兄が近くの小学校の校長で瀬戸の町にいろいろな人脈があったので、市長と一緒に日々の青年の送別会を計画し、会に参加した多くの人たちからの餞別もあり、さらにエドナ夫妻もサポートしてくれたので、旅費のための十分なお金が整い、一九五一年七月、二十歳の日々野青年は勇躍アメリカへと旅立ったのであった(完)。
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