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ペテロへの主の最後の言葉 ③

 三回目に主は、フィレオーの愛、つまり友を愛し仕える愛でもよいから、私を愛してくれないかと迫った主に対して、ペテロは、それで良ければ、あなたを愛しますと応答している。そこで、主はそれで良い、「わたしに従ってきなさい」と言われた(ヨハネ二一・19)。その後で重ねて主は、「あなたはわたしに従ってきなさい」(同22)と言われている。英語では「you Must follow me」と訳される。これが主の一番弟子、ペテロへの地上での最後の言葉であった。英語では「Must」が付くが、文脈から判断しニュアンスをよく捉えた訳である。

 実は、この「従ってきなさい」という言葉は、ペテロに強いられた義務や責任であるかのように取られるかも知れないが、そうではない。それは主がもっておられる愛と喜びが彼の上に留まるためであった。例えば、十字架につけられる前夜の最後の晩餐で、主は父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛したのである〜これらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたのうちにも宿るため、また、あなたがたの喜びが満ちあふれるためである」(一五・9&11)と語っている。そこで、主は何度も何度も愛と喜びについて語っているが、この世に福音を伝えることに優る喜びはないからである。

 以下は名著「クオ・バ・デス」からの引用である。ペテロは、ローマ皇帝ネロの迫害を逃れ、ローマから脱出するためアッピア街道を下っていたが、その途上で主に出会った。そこで「主よ、いずこへ」(クオ・バ・デス)と尋ねると、主は「これからローマに行く」とお答えになった。ハッと心を突かれたペテロは、踵を返してローマに向かい、やがて捕えられ、殺されてゆく。しかし、主と同じ有様で十字架にかかることはもったいないと言って、自ら申し出、「逆さ磔(はりつけ)」で殉教したのである。フィレオーの愛でなら従うことが出来ますと言ったペテロだったが、最後はアガペーという、自分の命を捨てても、愛する者のために喜んで自分を捧げるという愛を抱いて死んで行った。それは、天国で愛の主と再会する希望と喜びが、死の恐れを超えさせたからであろう。

 私たちにペテロのような勇気はないが、今も「あなたはわたしを愛するか」と迫るイエスの愛に、「主よ、愛します」と、喜んでお従いしたいものである。

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