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天国での再会

 私の尊敬する人物に、ジェームス・ドブソンという心理学者がいる。今も現役で、ラジオ番組「フォーカス・オンザ・ファミリー」のホスト役として活躍している。彼の子育ての講義はとても人気があり、僕は彼の講演テープを擦り切れるほど聞いて、右も左も分からない子育ての実践に活かしたものである。

ドブソン博士自身の話である。ある時、彼の同僚が大好きなバスケットボールの練習中に、突然何も言わずに召された事があった。その時にドブソン博士は、同僚は何かを言い残したかったに違いない、と思ったという。そこでその夜、一人息子のライアンに、「お父さんの死にぎわに、何か言い残すことが出来ないような事が起こるかも知れないから、今、ここで言っておくよ。ライアン、どんなことがあっても、やがて私のゆく天国へ来るのだよ。お願いだから、これだけはお父さんの遺言だと思って守ってくれ!」と言ったことがある。

 パウロは、「わたしたちの国籍は天にある」(ピリピ三・20)と宣言しているが、主イエスが、私たち信じる者のために最善の場を備えるために天に帰られたことによって、この確信が生まれたのである。それは信じる者がどこの国籍でも、祖国が天国に変わり、やがてそこに移されてゆくという人類の希望である。この約束のゆえに、たとえ死に直面するようなことがあっても、その向こうには神が備えてくださった光輝く世界が待っているという安堵がそこにある。

 三年前に母は九十九才で召されて行った。僕はその頃、コロナ禍で葬儀のために日本に帰ることは叶わなかったが、上の姉が死を目前に意識朦朧としている母の枕辺に付き添っていたので、母に電話で呼びかけることができた。母はかれこれ二十年以上も前に、イエス様を救い主として信じていたので、その時の母への最後の言葉は「へば、天国で会うはでな!」(「じゃあ、やがて天国で会おうね」の意)であった。愛する者の最後に当たって、それまでの家族の楽しい思い出を語るにせよ、何にせよ、神の備えた天国で再会するという約束を語るにふさわしい時はない。この地上では愛する者と二度と会えないという心の痛みはあっても、神の約束のゆえに、やがて再会できるという望みがあるのは、信じる者に与えられた最高の祝福であり、何にも代え難い特権である。

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