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姉、和子の訪問 ④

 大鰐町でのキリスト教式の葬儀は、後にも先にも、それが初めてではなかったかと思う。町内の葬儀屋さんも、どのように会場を盛り花で飾るか分からず、腐心したようだった。葬儀自体はキリスト教式で良かったのだが、僕はアメリカでの仕事があり、その後すぐに帰らなければならなかった。そこで、火葬や埋葬などはお寺に任せないといけない羽目になってしまい、家族は苦労したようだった。そんな背景もあり、事情を説明するためにまずはお寺に出かけた。

 住職には、父の葬儀のことから切り出した。「三十年ほど前、父の葬儀の準備のために、ここで、『キリスト教式でしたいのですが』と尋ねたところ、『それでは俗名でしょうか、戒名でしょうか』と尋ねられたので、『俗名で』と答えたのです。それだけの応答で終わりました。この度、もし私が時間的に間に合えば、キリスト教式でしたいと思いますが、そうでなければ、住職に葬儀をお願いすることになるかと思いますが、いかがでしょうか」と伺ったところ、若い住職は、あっさりと「問題はありません。どうぞご自由になさってください」と言ってくれた。宗派によっては、他宗教の介入を許さないところもあり、内心びくびくしていたのだが、まずはひと安心である。何れにしても後日に関係者で集まって、姉の記念会を開き、その後で埋葬式をする段取りとなった。

 さらに、もう一つ、仏式であれキリスト教式であれ、葬儀は葬儀社にお願いしないといけない。そこで、弘前福音教会の田鎖直樹牧師の紹介で、市内の葬儀社で一緒に段取りを話し合うことができた。奇しくも、そこは四年前に召された母の葬儀の時にお世話になった葬儀社であり、担当者も同じ人であった。

 アメリカに帰った翌日、従姉妹からテキストで、「お兄さんと一緒に私も医者に呼ばれて行ってきました。覚悟してくださいとのことです」と記してあった。いよいよ時が来たかと思っていたところ、五日後の五月1日、従姉妹から再びテキストで、姉の心臓が奇跡的に正常に戻り、近い将来、以前の介護施設に戻れるかも知れないという。栄養不足で弱っていた体に、静脈注射で栄養剤を入れたのが功を奏したようだった。安堵し、神に感謝をしたのは言うまでもない。僕はこのまま姉が順調に回復を遂げ、退院できることを心から祈った(完)。

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