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姉の見舞い ①

 この二〇二三年9月末から、青森県の津軽にいる姉の見舞いのために、妻の啓子と共に三週間の予定で日本に一時帰国した。田舎へは五年振りの里帰りである。実は、母は3年前に九十九才で召されている。だが僕はコロナ禍で日本に帰ることも、葬儀に出ることもままならなかった。これまで津軽の田舎に帰る目的は母に会うためであり、また兄と姉に会うためだったので、母が元気な声で、「よぐ、来たな!」と言って迎えてくれるのが、何よりの喜びであった。だが、今回はそこに母はいない。僕は家に入ることが怖かった。わが身を取り乱してしまうのではないかという危惧があったからだ。青森駅で従姉妹にピックアップしてもらい、小一時間ほどして実家に着き、そのまま母の遺影の前に座し、しばし話しかけていた。しかし、なぜか心は平安であった。母は二十年ほど前に主イエスを救い主として信じていたので、やがて天国で再会できるという希望が僕の心を安らかにしていたのであろう。実家では長兄が未信者で、しかも真言宗の檀家ということもあり、仏壇はそのまま部屋に置かれている。

 さて、姉はこれまで、胆嚢の摘出、胃の全摘、大腸の一部摘出、それに今回の直腸がんのオペ、と四回もの大きな手術を経てきた。よくもここまで度重なるオペに耐えてきたものだと思う。今回のオペの前、当の本人は「なあに、これくらい、大したごとねじゃ!」と強がっていたが、内心はビクビクであったに違いない。否、自分の体にメスが入れられるのだ。怖くない人はいないであろう。姉は今回の直腸がんのオペの直前に、自宅の庭で草取りをしている時に尻モチをつき、それによって腰を痛めてしまった。それ以来、痛みのために歩行困難になり、幸いにもオペは成功したものの、車イスの生活が続いている。そのためにリハビリが必要で、弘前の病院から黒石という近隣の町の病院に転院することになった。だが、転院先ではコロナ禍の影響で、正面玄関に「面会禁止」という大きな貼り紙があり、外部からの訪問はできない。そこで、転院時に付き添ってくれた従姉妹が、「弟がアメリカから、姉に会うために来ているので、なんとかなりませんか」と担当者に掛け合ってくれた。その結果、後日「コロナ禍です。1週間後なら訪問して良いです」と言う承諾が出たのだった。

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