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姉の見舞い ②

 1週間後の十月4日、従姉妹夫婦の運転で姉の訪問と相なった。午後から面会というので、その前に黒石市内の「こみせ」を観光することになった。そこは観光名所で、街の一画が雨雪を避けるために、店の軒の庇(ひさし)を道路まで張り出し、その下を通れば雨雪に濡れずに店頭を通り抜けできるようにした、雪国の風物詩の一つなのである。その後、病院に向かった。面会手続きを済ませ、姉の病室がある3階に行くと、車イスを看護師に押されてやって来た姉とバッタリ会った。5年振りである。3年前には家内のオペで3ヶ月間、東京にいたのだが、その時はコロナが大流行して、帰郷は到底叶わなかったのだ。

 マスクを着けてはいたが、大きな笑みを浮かべ、歓迎してくれる姉の姿を見て安堵したのは言うまでもない。だが、姉は未だ続く腰の痛みで歩くこともままならず、直腸がんの摘出と同時につけたストーマ(人工肛門)という排便用の袋を装着していた。袋の取り替えは、普通でも一人で装着できるまでに時間がかかるという。姉はまだ自分でそれを出来ずにいるので、その状態では帰宅は許されず、施設に入るしかない。僕らが津軽にいる間に自宅に戻って来て欲しかったが、それは叶わないようだ。そのような姉を励まし、元気になって帰宅することができるように励ますのが、今回の日本訪問の目的であった。車で病院まで送ってくれた従姉妹夫婦は、面会の間、待合室で待っていたのだが、看護婦の一存で彼らも一緒に面会しても良い、というので、僕らと一緒に部屋に入ってもらった。本来、外部の者は入れず、しかも一度に二人しか入れないのだが、病院側の温かい配慮だった。それにしても、病院側の対応は親切で配慮がゆき届いていた。アメリカに住む者にとっては、それが何とも嬉しい。

 車椅子の姉は静かな声で、腰が痛くて歩けないこと、ストーマの袋の装着が難しいこと、などを話しだした。声に力がないが、話の内容はしっかりしている。その口調から、懸念していた認知症の兆候は見られないようだ。実はそれが今回、一番心配していたことだった。実は面会に行っても、「あんたは誰ですか?」と言われたらどうしようかという恐れが内心あった。一般に、大病や環境の変化などが認知症になる大きな要因の一つと言われているからである。

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