僕は姉に孫たちから預かった手紙を渡し、アメリカの家族の近況を話したが、術後は疲れやすいので長居は無用だ。そのため二十分ほどで切り上げる。最後に姉の手を取って、主イエスの豊かな見守りを心から祈った。姉はその祈りにいつものように「アーメン」と応えてくれた。姉は十数年前に、長年、中国人伝道に励んできた宣教師の新川誠先生をお迎えして、拙宅で日曜日に家庭礼拝をした時に、イエス様を救い主として受け入れてクリスチャンになっていた。
以前、私を信仰に導いてくれたカナダ人のアン・フリーゼン宣教師の活動拠点が「弘前福音教会」であり、姉もその教会とコンタクトがあったので、今回もそこの教会員の一人が、幾度となく姉を訪問して祈ってくれた。それが姉にとっても、僕ら家族にとっても、どれほど大きな励ましとなったことか!
アメリカに帰るまでに四回姉を見舞うことができた。その間、弘前に住む従姉妹夫婦が車を出して、僕らの居る大鰐まで来てピックアップし、黒石まで送迎してくれた。それは一日がかりの仕事だ。だが、いつまでも彼らにお願いはできない。そこで四回目は、僕が姉の車を運転して行くことにした。大鰐町内なら日常品の買い出しのためにドライブはするが、郊外となると自信がない。アメリカの左車線の運転に慣れた者には怖い。特に交差点に差し掛かった時に、とっさの判断に戸惑い、ハッとすることが過去に何度かあったからだ。だから、助手席の啓子が、交差点に差し掛かる度に「左、左!」と言ってリマインドしてくれた。そのようにして、最後は何とか自分で運転して姉に会い、しばしの別れを告げることができた。体力の衰えもさることながら、うち続く足腰の痛みによって、今後、家に帰るという姉の気力がどこまで続くかと思うと、いささか不安であった。今後、姉は自力で歩けるまで近くの施設に入ることになる。
使徒ヨハネは、「愛する者よ。あなたのたましいがいつも恵まれていると同じく、あなたがすべてのことに恵まれ、またすこやかであるようにと、わたしは祈っている」(第3ヨハネ2)とある。いつまでも健康であって欲しいとは、万人の叫びであるが、魂が救われてこそ恵まれ、健康が支えられるというものだ。大切なのは、主イエスによる魂の救いであることを心に留めたいものである。
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