4月の中旬、病める姉、和子を訪問するために、十日ほど津軽に帰省した。それまで、姉は青森県津軽の実家に近い「白寿園」というナーシングホームに入園していたのだが、手足のむくみがひどくなって、病院に搬送されることになったのである。むくみは以前にもあったが、今回の入院はそれが悪化したためであった。従姉妹たちが何度も和子を訪問し、僕の訪問も予約してくれていたので、羽田に着いた翌日には、実家の兄と一緒に出かけることができた。
今も、地方の病院ではコロナ禍の影響が続いていて、外部から訪問客を入れると、コロナに罹患する患者が増えるというので、部外者を入れない所が多い。姉の場合には、1週間に一度、それも十分間の訪問であれば可能だというので、僕は姉と半年振りに会うことができた。姉はすっかり痩せ細り、足だけがパンパンに腫れている。手の指先もそうだ。「痛くないの?」と尋ねると、「大丈夫」という。姉は衰弱して、話すことすら大変な様子で、僕の問いかけに頷くのが精いっぱいだった。看護師が僕らの隣にいて訪問時間を計っているので、ゆっくり話すこともできない。気忙しいままに、夏には甥や姪も訪問に来るから、とにかく元気になって退院して欲しいと励ました。以後、アメリカに戻るまでに、僕は三回も医者に呼ばれて、姉の危機的状況を聞かされることになる。
姉のむくみの要因は、栄養が足りていないからだという。それによって心筋の働きが弱くなり、腎臓に行く血流が減って、末端の手足に浮腫ができたのである。ふくらはぎは、第二の心臓とも呼ばれるが、そこに水が溜まってしまったのだ。姉の病名は心不全とのことで、肺のレントゲンも見せてもらったが、大部分が白濁している。そこには何リットルもの水が溜まって、溺れているような状態だとも言われた。医師から「いつ何が起きても不思議ではない状態です」と言われた時、僕は、四年前にコロナ禍の最中に母が召されたのに続いて、今度は姉が召されて行くのかと思うと、誠にいたたまれない思いであった。家族思いの姉は、僕が妻の啓子と共に郷里を訪ねる折には、下にも置かぬもてなしをしてくれたものだ。そればかりか、これまでの姉との悲喜こもごもの想い出が胸に去来する。それらの想い出を振り返っては、万感迫る思いであった。
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