その後、姉の脈拍数が危険な状態にまで落ちため、緊急処置が必要になった。そこで心臓外科専門病院に転院することになったのだが、転院手続きには時間が掛かるため、それを従姉妹に任せ、僕はこれがもしかしたら姉とじっくり話せる最後の機会かも知れないと考え、万感の思いで病室に入ったのだった。
姉は信仰を持ったとはいえ、おそらく、これまで自分からクリスチャンであることは誰にも言ったことはなく、周りにクリスチャンもほとんどいないため、自分から信仰の話をしたこともない。だから、今回のような危機的状況の中で、「わだきゃ、このまま逝ってしまうんで(私はこのまま死んでしまうんだよ、の意)」と言う。主イエスを信じて永遠の命の希望を手にしたにも関わらず、姉が天国の希望もなく、そのまま逝ってしまうというのではあまりに悲しい。そこで、姉が信じた時のことを思い出させる必要が出てきたのだった。
十五年前のこと、僕は姉に信仰を持ってもらうために、友人で宣教師の新川誠先生の助けを借りることにした。気さくな彼が一緒にいることによって、姉の心が少しは開かれるのではないかと思ったからである。その日、姉と兄と四人で自宅で日曜礼拝を持ち、新川先生のお勧めの後、僕は次のように語った。
ある島に真珠獲りの父子がいた。父が舟を漕ぎ、息子が潜って真珠を獲るのだが、ある日、息子が海に潜ってみると、深い岩場に大きな真珠貝を見つけた。息子は無理をしてそれを獲ろうとしたので、舟に上がった時には、もう事切れていた。ちょうどその頃、島で長い間、宣教活動をしていた宣教師が本国に帰るというので、真珠獲りの父は、宣教師へのお礼に息子が獲った立派な真珠を贈ろうとした。大きく高価な真珠だったので、宣教師は驚き、お金を払って受け取ろうとした。すると、父親は、「いえ、それはいけません。ただで受け取ってください」と言った。しかし、宣教師が、「いや、それはできません。お金を払います」と言い張るので、父は、怒ったように、「先生、この真珠には息子の命がかかっています。それをお金で受け取ろうとするのですか」と迫った。宣教師はハッと気が付いて、「そうでしたね。これはそのまま受け取るべきものでした」と言い、心から感謝してその真珠を受け取ったのだった。
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