top of page
Rev. Tsukasa Sugimura

届かなかった郵便

 この8月初旬のことだ。津軽に住む兄に郵便を送った。それはその中に入れてあるクラフト紙の封筒を用いて、往復はがき四十枚を送り返してもらうためであった。僕と兄はこれまで郵送し合ったことがない。いつも必要な時は姉がしてくれていたからだ。それで今回、往復はがきを送ってもらうために、僕のアメリカのアドレスを書いた返信用の封筒を兄に送ったという次第である。

 往復はがきを送って欲しい訳は、それを用いて、この秋に予定している姉・和子の記念会、「思い出を語る会」への招待状を出し、その出欠の有無を知るためであった。僕が今年の四月に日本に行った時、姉の部屋でアドレス帳を見つけたので、そこに記してあった四十名ほどの友人・知人に招待状を書き、それをまとめて日本に送り、日本からそれを配布してもらうためであった。

 そこで僕は兄に電話をし、いつ僕に往復はがきを送ってくれたのかを確認したところ、「8日には送ったよ」と言う。そこで、それを待って招待状を出そうとしていたのだが、何せその封筒が届かない。2週間経っても、3週間近く経っても届かないのである。そこで再度、兄に往復はがきを送ってもらうことはできたのだが、また届かないようでは、十月末の記念会には間に合いそうもない。そこで、このアメリカから直接、僕が姉の友人・知人たちに招待状を送り、出欠の有無は、電話で兄、あるいは従姉妹に連絡してもらうことにした。そのために二人に事情を話して承諾を得、当地アメリカから郵送することにした。

 「ある日〜神の使が彼のところにきて〜、『コルネリオよ〜あなたの祈や施しは神のみ前にとどいて、おぼえられている』」(使徒一〇・3~4)という話がある。イタリヤ隊の百卒長コルネリオに天使が現れて、彼の祈りや施しが届いているというのだ。神は目に見えず、声も聞こえないので、果たして彼の祈りが神に届いているかどうかは分からない。だが、彼は神の存在を信じて、ひたすら祈り続け、施し続けたというのである。それは神を信じることによって救いの確信と喜びが生まれ、生き生きとした信仰が生まれていたからである。

 だから、この地上で信仰ほど大切なものはない。郵便では天に届かないが、信仰は直接、神に届くからである。祈りほど頼りがいのあるものはない。

閲覧数:7回0件のコメント

最新記事

すべて表示

Comments


bottom of page