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弱い時にこそ強い

Rev. Tsukasa Sugimura

 今回はウォールナッツ・クリーク教会の藤岡二郎牧師の証しである。今年の夏季修養会で先生とグループで話していた時、「わたしが弱い時にこそ、わたしは強い」(2コリント一二・10)というみ言葉をご自分の体験を通して話されたのだが、僕はこれまで懸案であったこのみ言葉の意味を理解できたのである。

 私(藤岡師)は神の恵みに支えられながら健康に過ごさせていただき、30数年間キリストの教会に仕えてくることが出来ましたが、昨年(二〇二三年)、突然、私の人生で初めて入院することとなりました。食道に穴があいてしまったのです。入院中は病院のベッドから自由に動くことも出来ず、数週間後にはすっかり筋力も衰え、まるで幼子のように弱い者だということを強く感じていました。そのような中で私を励ましてくれたのが、イザヤ書40章末尾の「主を待ち望む者は新たなる力を得、わしのように翼をはって、のぼることができる。走っても疲れることなく、歩いても弱ることはない」というみ言葉でした。

 こんな弱い何の力も出せないような自分に、いったいどのような力が与えられるのだろうか、新たな力とはいったいどのような力なのだろうかと思い巡らしている中で、ああ、この力とは、再び元気になって自由に歩く事が出来る力の回復を言っているのではなく、この世界から神の世界に、神が恵みをもって支配しておられる世界に上って行く事が出来る力、それは肉体を鍛えて手に入れる事で出来るような力ではなく、ただ神の恵みと哀れみによってだけ手に入れる事が出来る力、神の約束を信じる信仰の力だと思わされたのです。

 主はこの力でもって私を支えていて下さったのだと。もしこの病院から退院することが出来なかったとしても、必ずこの力によって鷲のように翼を張って上ることが出来る、もう弱さも疲れも感じなくてもいいのだろうと思わされたのです。今まで何人もの方々の死に立ちあって来ましたが、みな信仰者の方々はこの力に支えられておられたのだなと感じたのです。そして私が受けたものはこの力であり、私が伝えてきたものもこの力であったのではないかと考えています。人々が弱さを覚えたとき、救いを求められたとき、少しでも皆さんの心を照らす光として、この信仰体験が活かされたとしたならば感謝です。

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