今のウクライナとロシア、イスラエルとガザの戦争は泥沼のようである。どうしたらそこから抜け出せるのか。いまだに人類は、その答えを見出せないでいる。復讐は人の本能であり、それに抗うことは至難の業であるからだ。
そこで復讐に対して聖書は何と命じているかを学んでみたい。「主が言われる。復讐はわたしのすることである。わたし自身が報復する」(ローマ一二・19)とある。復讐ほど人にとって制止し難いものはないが、それは神の領域なのだ。
一、「復讐は神の領域」
創世記四章のカインとアベルの話からはじめよう。カインの名は「神様のお陰でこの子が与えられた」。待望の第一子という意味である。ところが、アベルという名は「蒸気、息」という意味だ。つまり、名無しの権平である。期待されないで生まれたのだ。父親のアダムと母親エバの仲が悪かったのか、アベルは愛情を知らずに生きてきたようだ。兄は全てを独り占めし、兄と弟も喧嘩が絶えない中で、両親は見て見ぬふり。家族関係はカオスであったと思われる。
自分の子でも親は等しく愛せない。人には皆、そういう弱さがあるのではなかろうか。私個人の過去を振り返ってみても、悔いることばかりである。
さて、アベルは羊を飼い、カインは土を耕していた。ある日、神様に供物をする時がやってきたので、兄は地の産物を捧げ、弟は羊の初子の肥えたものを捧げた。そこで、神はアベルの捧げ物を顧みたとある。アベルは初めて生まれた子羊の中から最上のものを神に捧げた。それはアベルにとってさぞかし愛おしく、宝のような存在だったと思われるが、彼は進んでそれを捧げた。一方、カインは地の作物を捧げたのだったが、ふだん収穫する物の中から捧げた物であり、特別に神のために取り分けて準備した物ではなかったようだ。
神が目を留められたのがアベルの捧げ物で、カインの捧げ物ではなかったので、カインは怒った。神に対してである。「顔を伏せた」とあるが、神に対する怒りのゆえに、まともに神を見る事が出来なかったのである。そして、彼はその怒りを弟に向けた。怒りは激しい妬みとなり、ある日、カインは弟を野に誘い、そこで彼に手を下して、怒りの吐口とした。人類最初の殺人である。
Comments