一昔前、アメリカの田舎の教会であったお話です。
「毎年、教会学校の子ども達による降誕劇がクリスマス祝会の最後を飾る晴れ舞台でした。村人にとっては、この降誕劇を観るのが大きな喜びでした。教会学校の子ども達も、クリスマスに合わせて、およそ三ヶ月前から劇の練習に入りますが、その前に、配役を決めました。でも一人だけ役をもらえずに帰って行った男の子がいました。この子は発達障害を持っていたので、役を与えられなかったのです。でも、なんとかこの子にも晴れの舞台に立って欲しいと願い、先生達は、その子に役を与えました。家畜小屋付きの宿屋の主人です。男の子は喜びました。セリフは一言だけ。『ダメだ。ダメだ。部屋はないよ』。そして、人差し指で馬小屋を指す。それだけの役です。三ヶ月の練習後、いよいよクリスマスになり、村人も教会に集まって来ました。清らかな讃美歌を歌い、持ち寄った食事をした後、いよいよ、クリスマス祝会のメインイベントである降誕劇が始まりました。日が暮れたベツレヘム、長旅に疲れ果てたヨセフとマリア、行くところ行くところの宿はいっぱいで断られます。疲れ果てたヨセフとマリアは、この男の子の宿屋にやって来て、『私たちを泊めてくれませんか?』と尋ねたのです。男の子は、日頃から練習しているセリフ通り、大きな声で『ダメだ。ダメだ。部屋はないよ』と断ります。重い足を引きずるようにヨセフとマリアは、男の子が指さした馬小屋に歩き出しました。その後ろ姿を見ていた男の子の目に涙があふれ、ワァ~と泣き出すと、ヨセフとマリアにしがみついて、『馬小屋に行かないで僕の家に泊まって!』と叫びました。あわてた先生達が舞台の上に跳びあがって男の子を引き離し、降誕劇は中断しました。しかし、小さな教会学校の歴史の中で、これほど感動させられたクリスマスはなかったと言われているそうです」。
もし、この男の子が発達障害をもっていなかったら、このような感動的なクリスマスにはならなかっただろう。その人には、その人にしかない素晴らしい特性があるということだ。もとより「神は人をかたよりみない」(使徒行伝一〇・34)とは聖書の言葉であり、神の目には全ての人が同じ愛の対象であり、宝のような存在だからだ。私たちもそのように他者を見たいものである。
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