十月7日の夜、僕は神様のなさるみ業を見させていただいた。今回はその紹介をさせていただこう。その一ヶ月前のことである。姉・和子の「思い出を語る会」の招待状を姉の住所録を手がかりに、こちらから三十通ほど送った。ところがその宛先が変わっていたり、移動したりして、戻ってきたものが何通かあった。その中の一通が、姉の一番親しくしていたSさんからのものであった。
彼女にはぜひ連絡を取りたいと思っていたので、携帯を預けていた従姉妹に頼んで、Sさんの電話番号があったら、教えて欲しいと頼んだところ、早速、教えてくれた。埼玉県にお住まいであった。彼女は、姉が青森県八戸市で中学生からの友人で、つい最近も、僕がこの4月に青森に帰った時にも電話をくれて、姉の様子を教えて欲しいと言ってきたほどの親しい間柄であった。姉が退院したら、必ず会いに行くから、元気で待っていてくださいとの伝言であった。
そういうこともあって、とにかくSさんだけには、姉の最後のこと、また「思い出を語る会」の連絡もしなければと思い、電話番号を知りたかったのだ。でも、その番号は家の固定番号で、以前、彼女が居た家の番号のようだ。そこに出した手紙が戻ってきたのだから、その電話番号では通じないのではないかと従姉妹が言っていたが、とにかく電話をしてみることにした。すると、何とSさんが出たではないか。彼女は近くのマンションに移っていて、以前、住んでいたところは更地になっていて、娘夫婦が家を建てることになっているという。
そこで僕は自己紹介をした。僕は和子の二番目の弟で、アメリカに住んでいて、津軽にいるのが兄です。そして僕がこの四月、実家にいた時に、Sさんから、姉の容態を伺うお電話をいただきましたが、その時に応対したのが僕ですと言ったところ、「ああ、そうでしたか、宰(つかさ)さんがアメリカで牧師をなさっておられることは、よく和子さんから伺っておりましたし、ご本も何冊か読ませていただきました」と、旧友にでも話すかのように会話がはずんだ。それから、Sさんに姉の最後を語った。この7月に弘前市内の病院で召天したことを。姉からの連絡がないので、予想はしていたのかとは思うが、彼女は姉の盟友ということもあり、それはショックであったろう。しばし、彼女は無言であった。
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