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Rev. Tsukasa Sugimura

救いのみ業 ②

更新日:2024年11月21日

 沈黙の後、「僕は津軽の実家で、姉に送られてきた手紙を整理していた時に、実に丁重で、達筆の手紙が一通あったので、それをアメリカに持ち帰ったのですが、それがSさんのものでした」と言った。彼女の手紙の文章の内容は姉に対する励ましと友情に満ちたもので、そのまま実家に放っておくのはもったいない、じっくり読みたいと思い、持ち帰ったのだった。彼女は恐縮していた。

 続けて、姉がどのような最後であったのかを説明した。「実は姉はクリスチャンで、この4月に弘前の病院を訪問した時には、もういつ召されてもおかしくないような状況だったので、まもなく仕事でアメリカに帰る僕としては、それが最後の面会になるだろうと思い、万感の思いを込めて一五年程前に姉が救われた当時のことを思い出させ、そして祈ることにしたのです。その僕の祈りに応えて、姉は声を出すこともできないほどに弱っていたのですが、大きな声で『アーメン』と応えたのです」とSさんに語ったところ、僕の言葉をさえぎるかのように、「それは安堵でしたね。宰(つかさ)さんも、和子さんの救いの確信を知って嬉しかったでしょうね」と言ってくるではないか。その言葉は、クリスチャンでない人には言えないような返答だと僕は思ったので、一瞬Sさんは、信仰を持っているのではないかと思ったほどであった。そしてSさんは語り始めた。

 実は、家の近くに教会があって、その教会の牧師夫婦とは昔からのお付き合いで、今もよく教会に通っています。洗礼は受けてはいませんが、これまで何度も勧められています。つい先日も能登半島サポートのコンサートがあり、友達に一緒に参加するように声かけをしたりしましたと語るではないか。僕はSさんの言葉を遮るように、「ところで、現在通っている教会名は何ですか」と尋ねると「浦和キリスト・チャペルです」と言う。これが驚きの始まりであった。

 Sさんが主イエスに心を開いていることは分かったが、まだ入信の決断をしていないことを知って、もう救いは目前だと思い、信仰に導きたいという思いが溢れてきて、僕は決断を迫ることにした。だが、そう思うと嬉しくて胸が詰まってしまい声が出なくなるほどだった。そこで僕はSさんに尋ねた。「牧師として一つ質問をさせていただきたいのですが、いかがなものでしょう」と。

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