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Rev. Tsukasa Sugimura

救いのみ業 ③

 快諾だったので僕は迫った。「イエス様は、Sさんが救われるために、天のみ位を捨てて来られたのです。それはSさんの罪を一手に引き受け、それをご自分の体と共に十字架につけ、Sさんに永遠のいのちをもたらすためでした。それを信じますか」と尋ねたところ、「もちろんです!」と力強い声が帰ってきた。

 それからローマ書十章9&10節の「信仰告白」の箇所を読み、さらに「罪びとの祈り」を捧げるために、「僕の後について祈ってくれますか」と言うと、一言いちごん、心を込めてイエスを救い主として受け入れる祈りをしたのだった。 

 彼女はその後、「今晩、教会で集会があるので、早速このことを牧師に伝えます」と言ってきた。電話の向こうからクリスチャンに生まれ変わった喜びが伝わってきた。Sさんと和子とは互いに信仰の話はしたことがなかった。それは親しい友人同士でも、キリスト教の話は躊躇する話題だからだ。それによって友人関係がギクシャクすることが多い。僕は天国にいる姉に代わってSさんに話しているようで、一人の人が救われた喜びで、しばし涙が止まらなかった。

 さて、肝心の「和子の思い出を語る会」の紹介をすっかり忘れていた。「実はSさん、この月末に姉の記念会を弘前でする予定です。近隣から三十人ほど集まるのですが、どうしましょうか」と尋ねた。遠い所から、お一人で来られるのではと思い、僕は言葉を続けた。「埼玉は遠いし、出席するのは大変でしょうから、宜しければ記念会のプログラムや、今年出版した僕の本をお送りしますよ」と言ったところ、「それではそうしていただけますか」という返答だった。

 僕はSさんとの一連の出来事を妻に話したところ、彼女は「Sさんは、どこの教会に行っているの?」と尋ねるので、「浦和キリスト・チャペル」と言うと、「じゃあ、どんな教会か調べてみるね」と言ってスマホを手に取った直後、彼女は声を挙げた。何と、その教会は大谷文三先生が宣教師として開拓した教会であった。彼とはオレンジ郡教会で一緒に牧会をしたし、今も折々にランチを共にしている間柄である。そして家内と言った。「不思議なこともあるものだねえ。Sさんの通っている教会が、同僚の牧師が開拓した教会だなんて」。神様のなさることは実にくすしい。その夜、僕らはただ主を讃えるばかりであった。

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