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日系ペルー人の痛み ①

更新日:7月6日

 今回はシカゴ在住の鈴木光夫牧師が描いてくださった。2027年に北米日系人宣教150年を迎える一環として、記念誌出版のためにシカゴ地区の教会史の一コマを飾る一文である。戦時中の痛みを通った同胞の労苦が偲ばれる。

 

 1968年1月27日に日系人による「シカゴ・ペルー会」が結成された。同会が組織されるに至った過程は、太平洋戦争が始まったとき、南米ぺルー在住の日系人がアメリカ政府の要請でアメリカに強制連行されたが、その時の家族と離散された壮絶な過酷の在米日系人史の一部で、苦難を経てきたその中の信仰に篤いクリスチャンが、シカゴ日系人教会の成長発展に大きく貢献してきた。                      

 太平洋戦争が始まる前まで、南米ペルーは親日国であった。そのペルー在住の日系人は、平和な生活をしていた。ところが、太平洋戦争が始まったとき、ペルー官憲がアメリカ政府の命令だと言うのみで、戦争とは何の関係ない人たちを調査もなく、有無を言わせずに日系人成人男子を敵性外国人といういわれのない汚名を着せ、5回にわたって1、771人を逮捕した。逮捕された人たちは家族から引き離され、行く先を告げられないままに入港中の米国船の停泊する港に連行されていき、彼らが海に飛び込まないように船底に押し込められて、幾日かの後に上陸させられた場所は、なんとパナマ要塞地帯であった。

 そこの場所で、MP(憲兵)の銃剣付き監視の下で、灼熱の太陽が照り付ける華氏100度以上を超す炎天下で一日2食、10時間以上の過酷労働を強いられた。しかも、炎天下の重労働中は水を飲むことさえ許されなかったと言う。逮捕された人たちのそれまで長年苦労して築いてきた事業や財産は、根こそぎ失われてしまったのはいうまでもなかった。残された家族の人たちも、何の理由も行先も知らされないままで、夫や父を奪われた彼らの生活も悲惨だった。

 パナマで100日以上の重労働を強いられた後、彼らペルー日系人は再び船底に閉じ込められて、今度はテキサス州クリスタルシティーの司法省の管理下にある収容所に収容された。後日、逮捕された人たちが、アメリカ本土で無事であることを知らされて家族は喜んだものの、彼らと簡単に会える訳ではなかった。

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