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淵を越えさせる赦し ①

Rev. Tsukasa Sugimura

更新日:3月6日

 今回は滝井ジュン牧師の証しを紹介しよう。『ラフ新報』に載ったものだ。 

日本語の「ゆるす」という言葉には、その意味によって「赦し」と「許し」という二つの漢字が使われます。「赦す」は犯した罪に対するもの、勘弁する、罪を償ったことにしてやるという意味で、例えば赦免のような時に使います。「許す」は許可を与える、何かをする権利を与えるという意味で、免許や許可証に使われる漢字です。聖書では、「神が人間を赦し天国に迎えたい、その為に十字架という解決策を与えて下さった」というのが、大きなメッセージの一つです。

 ところで皆さんは、誰かに絶対に赦されないだろうと思っていたのに赦された、という経験がありますか? その昔、ボクの実家が親父の代に商売に失敗して大きな借金をして返せなくなり、親戚のおじさんの家にまで取り立てがあり迷惑をかけたことがありました。それがもとで、おじさんの家とは険悪な関係になりました。一時期はおじさんから、「お前は息子なんだから、うちが払った分のいくらかを返せ」と何度か言われたことも。他の金融機関からも取り立ては続き、毎月借金返済の金策に追われる終わりの見えない苦しい日々でした。

 それを見かねた当時のボクの牧師であったアメリカ人宣教師のリックさんからは、「こんな状況に居続けるのは良くない。フィリピンの神学校に送るから、しばらくそこに行ってこい」と国外逃亡をしていた時期もありました。フィリピンでの学びを終えて日本に戻りしばらくしてから、ボクが結婚することになり、そのおじさんに隠れてコソコソとするのも良くないだろうと、結婚する前に直接一言でも報告しようと、勇気を絞り出しておじさん宅に行きました。

「良い顔はされないだろうなぁ。おじさんは昔プロライセンスを持ったボクサーだったから、もしかして入口でぶん殴られて、塩をまかれて追い返されるかもな…でも仕方ないか」と覚悟を決めてビビりながら行きました。しかし実際には、久しぶりに突然訪れたボクを見て、おじさんは彼のやっていたカフェのテーブルに招いてくれて、ケーキやらコーヒーやらを出してくれ普通に接してくれました。そしてボクが、「こちらに色々とご迷惑をかけておいて結婚なんてできる身分ではないんですが、こんな自分でも所帯を持つことになりまして…」

 
 
 

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