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生ける水

 僕はカリフォルニア州の中央部に位置するヨセミテ国立公園に毎年キャンプに行っていた。いつだったか、そこのシンボルと称されるハーフドームに十三才の息子と登ったことがある。ヨセミテは半乾燥地帯なので、そこでハイキングするような場合、とにかく十分な水を持っていかないと、とんでもないことになる。片道だけでも6時間はかかる登山道なので、大きな2リットル入りのボトルと、缶ジュースを5〜6個持って行ったのだが、二人で飲むボトルは、頂上に立った頃にはすでに無くなっていた。そこで息子は「お父さん、水が欲しい!」とせがむのだが、缶ジュースはあっても、水でないとだめだという。そこで、「ここを降りたら水があるから、もう少しの辛抱だ」となだめ励ましたのだが、もとより、水のあるふもとまでは数時間かかる。息子は「水、水が欲しい!」と叫び続ける。そこで僕は一計を案じて、登って来るカップルに「お願いです。水を分けてくれませんか」と尋ねることにした。彼らは急いで背にあったボトルを一本くれた。ついでに塩気も要るだろうからと言って、ビーフジャーキーもくれた。息子と僕はそれを愛(いと)おしむかのようにして飲んだのだが、僕の人生において、その時ほど人の厚情に感謝したことはない。

 主イエスがサマリヤを通った時のこと、ある女性に、「もしあなたが神の賜物のことを知り、また、『水を飲ませてくれ』と言った者が、だれであるか知っていたならば、あなたの方から願い出て、その人から生ける水をもらったことであろう」(ヨハネ四・10)と語っている。この「生ける水」とは、主を信じることによって与えられる永遠の命のことである。地上に生きる者として、無くてはならないのが水であるのと同じく、神の世界においても、無くてはならないものが「生ける水」である。しかもそれは、信じる者の中で喜びとなって絶えず湧き上がるものであり、黙っていても溢れ出る泉のようなものである。

 なぜそうなのかというと、救われて永遠の命を得たという喜びのゆえに、黙っていることが出来ないからである。ちょうど結婚を控えた花婿・花嫁がその喜びを隠しきれないように! だから今はやっているNHKの人気番組、朝ドラの「ブギウギ」のように、ドキドキ・ワクワクでいたいものである。

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