top of page

宝石箱

 今回は『デイリーブレッド』(2025年1月23日)からの引用である。


 「認知症は人生の記憶を奪う残酷な病気です。過去の記憶を失っていく父を見るのはつらいことでした。しかし、ある夜、夢を見ました。神のご配慮だと信じています。夢の中で、神は小さな宝石箱を持っておられ、父の記憶はすべてそこに保管されていて、父が天国に来たときに返すのだと言われたのです。

 その後の数年間、父が私を認識しなくなっても、この宝石箱の夢が私を慰めてくれました。認知症は一時的なもので、神の子である父は、天国に行けば、その病と永遠に決別するのです。また苦悩は「一時の軽い艱難(かんなん)」(Ⅱコリント4・17)という使徒パウロの言葉も助けになりました。彼は苦悩を軽んじてはいません。実際、彼は多くの苦しみに遭いました(7~12節)。彼が強調していることは、永遠という視点に立ち、キリスト者に約束された未来の栄光を仰ぎ見るならば、目下の問題は、軽く一時的なものだという事実です。

 キリストにある人が現時点でいただいている救いの喜びという祝福と、来るべき日に味わうであろう祝福を合わせるなら、この世の苦しみがどんなであっても、それを乗り越えさせる喜びが私たちを待っているのです(17節)。ですから、神がおられ、神の約束があるので、私たちはくじけません。つらい時もありますが、信仰を持って、神の永遠の約束に目を注ぎましょう(18節)」 

 神の幕やには「あかしの箱」と呼ばれる宝石箱があった。それにはアロンの杖、マナ、それに律法を記した石板の三つが入っていた。それらは時代と共に失われてしまったが、神の手の中の宝石は永遠に失われることはない。「いつも全力を注いで主のわざに励みなさい。主にあっては、あなたがたの労苦がむだになることはない」(1コリント一五・58)とあるように、神の手の中にあるのは、人が手にとって見るようなものではなく、神に喜ばれるような働きのことであり、信仰からくる働きである。そしてその信仰とは行動を伴うものである。その時に、ちょうど月が太陽の光でまぶしいほど輝くように、私たちの信仰が神の目には宝のように輝くのである。私たちの希望は永遠の神にこそある。

Comments


Irvine Japanese Christian Church, All Rights Reserved.

bottom of page