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プロフィール
登録日: 2026年1月4日
記事 (23)
2026年6月7日 ∙ 3 分
タッキーのやっぱり聖書でしょ
「十年選手」という言葉がありますが、これは例えばスポーツや特定の職業などで10年以上の選手生活やキャリアを持つ人のことで、長年その仕事や道に従事し、豊富な経験を積んで熟達した人のことを指します。十年間も何かをしていれば、かなりのベテランです。やはり年数というのは大事だと思わされます。 「聖書を伝える、聖書を教えるのは牧師(のみ)の役目だ。神学校に行った者のみが聖書を教える資格があるんだ」という、日本のキリスト教界にある間違った偏見をなくして欲しいとボクは常々思っています。「神学校やバイブルスクールに行ってないと、聖書を教えられない」という間違った思い込みが、大なり小なりありませんか?日本の教会では、「献身者」と「一般信徒」と二分化してしまっているところに、この悲劇の始まりがあると思うんです。 新約聖書の「ヘブル人への手紙」5章12節にこうあります、 「あなたがたは、年数からすれば教師になっていなければならないにもかかわらず・・・」 この箇所は、信仰の期間が長いのにもかかわらず成熟しておらず霊的な成長が止まっていて、基本的な教理を学び直さなければならないクリスチャンたちへの戒めが書...
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2026年5月31日 ∙ 3 分
タッキーのやっぱり聖書でしょ
旧約聖書のイザヤ書6章8節に、預言者イザヤが神の幻を見た際、神が 「誰を遣わすべきか。誰が私たちのために行くだろうか」 と呼びかけました。そこでイザヤは自分の不完全さを自覚しつつも、神の呼びかけに対して 「ここに私がおります。私を遣わしてください」 と志願した、という出来事がかあります。今日でも、この箇所のフレーズは、神様からの呼びかけに応えて、どこかに出ていく際によく引用されます。 全ての日本人クリスチャンには当てはまらないとは思いますが、ボクがこれまでに見て来た日本人クリスチャンの多くには、変な間違った先入観というか固定観念があって、「私は神学校に行ってもいないし、牧師でもないから、神様のことを人に伝えることはできないんだ。そのような資格はないんだ」と何となく思っている人が多かったです。「伝道とか説教をすることは、宗教の専門家である”献身者”がやるんであって、私のような一般クリスチャンには関係のないことだ」という間違った思い込みがないでしょうか?また聞く側としても、「牧師の語る聖書の話でないと、聞く価値がない」というこれまた間違った先入観がないでしょうか?(この「宗教的行事は...
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2026年5月24日 ∙ 2 分
タッキーのやっぱり聖書でしょ
クリスチャンの生き方として、よく「たった一人のオーディエンス(観客)がいると思って生きなさい。その方を喜ばせる為に」と言われます。 もちろんこの「たった一人のオーディエンス」とは神の事です。 人を見て、人を喜ばせようと集中して生きるのでななく、神に集中して神を喜ばせようとして生きる。 パウロは、「今なお人々を喜ばせようとしているのなら、私はキリストのしもべではない」と言っています(ガラテヤ1:10)。 そのことを考えると、あるピアニストの話を思い浮かべます。 あるピアニストが大きなコンサートホールで演奏した後、もう会場では皆が割れんばかりの拍手、スタンディングオベーションでした。 しかし彼女は喜べなかった。なぜでしょうか?それは、会場の中にたった一人、全く喜んでいなかったばかりか、ものすごく不満そうな顔をした人を見つけたから。 その人は、彼女のピアノの全てを教えてくれて、彼女のピアノの演奏の全てを知っていた人。彼女のピアノの先生。 「あなた、他の人の目と耳はごまかせたかもしれない。上手く演奏しているように見えたかも知れない。でも私は全て分かっている。あなたは手を抜いた。あんな演奏...
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Rev. Jun Takii
脚本
その他
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