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プロフィール
登録日: 2026年1月4日
記事 (38)
2026年10月11日 ∙ 4 分
タッキーのやっぱり聖書でしょ
ヨハネの福音書11章には、ラザロの死を悲しむ人々を見て、イエスが涙を流された場面が記されています。 イエスは神の御子であり、死に対する権威を持っておられるお方です。それでも、愛する人を失って悲しむマルタやマリア、そして周囲の人々の姿を見て、心を動かされ、ご自身も涙を流されました。神の御子が、人の悲しみを前にして涙を流された。この姿に神様の愛の深さを見ることができます。 私たちは人生の中で、何度も問いかけます。「なぜ、こんなにも悲しいことが起こるのだろう。なぜ、まだ生きていてほしい人が事故、病気などによって命を失わなければならないのだろう」と。 その問いに、簡単な答えを見つけることはできません。愛する人を失った悲しみは、簡単に癒やされるものではないからです。しかし、聖書は、悲しみの中にいる私たちに、神様がどのようなお方であるかを示しています。神様は、私たちの苦しみを遠くから眺めておられる方ではないのです。その悲しみ、その痛みをご自身が御子イエスが処刑されるという形で体験されました。 陸軍大将の乃木希典は非常に人々に深く慕われ、尊敬されました。日露戦争の旅順攻略戦などで多くの部下を失...
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2026年9月27日 ∙ 4 分
タッキーのやっぱり聖書でしょ
パウロの手紙の中でも、ピリピ人への手紙には、どこか他の手紙とは違った温かさを感じます。 パウロは他の手紙では時に非常に厳しいことを語ります。教会の中にある問題や、福音から外れていく教えに対しては、決して曖昧にすることなく、はっきりと語りました。しかし、そのようなパウロの手紙の中で、ピリピ書には特に「喜び」というテーマが繰り返し現れます。そしてもう一つ、私が心を打たれるのは、パウロの他者の伝道の動機の違いに対しての非常に寛大な姿勢です。 パウロは、自分の立場や名誉が脅かされることよりも、キリストが宣べ伝えられていることを喜びました。 ある人々は、純粋な思いからではなく、競争心や自分を誇る思いからキリストを伝えていました。しかし、それを知ったパウロは、「それでもキリストが宣べ伝えられているなら、私はそれを喜びます」と語ります(ピリピ1:15-18)。これは、私たちにとって非常に大切な姿勢ではないでしょうか。 キリスト教の世界では、教会や教団、あるいは教派によって、さまざまなスタイルがあります。礼拝の仕方、賛美の仕方、教会の文化、聖書の理解、聖書の強調点、あるいは教会を運営する方法に至...
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2026年9月20日 ∙ 2 分
タッキーのやっぱり聖書でしょ
太宰治の短編小説に「トカトントン」という作品があります。 戦争が終わった後、一人の青年が作家に手紙を書きます。青年は、何かに感動したり、一生懸命になったりすると、どこからともなく「トカトントン」という音を聞くんです。すると、それまで熱くなっていた心が、急に冷めてしまいます。 「そんなことをして、何になるんだろう。どうせ、何をしても同じだ。」 「トカトントン」という音は、人生に対する希望や情熱を打ち消してしまう、心の中の声のようにも思えます。 「こんなことをして何になるんだろう」と、何もかもがむなしく感じられてしまいます。 この「トカトントン」は、私たちの心の中にある「どうせ無駄だ」「何をしても仕方がない」という声にも似ています。皆さんも、そんな声をよく聞きませんか?ボクはよく聞きます。 実は、この作品の最後に、太宰治は聖書の言葉を記しています。それが、マタイによる福音書10章28節です。 「身を殺して霊魂(たましい)をころし得ぬ者どもを懼(おそ)るな、身と霊魂(たましい)とをゲヘナにて滅し得る者をおそれよ」 なぜ太宰は、「トカトントン」の最後にこの言葉を置いたのでしょうか。...
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Rev. Jun Takii
脚本
その他
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