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イエスの晴れ舞台

 レビ記に、「ヨベルの年にその畑は売り主であるその地の相続者に返るであろう」(二七・24)という嬉しい記事がある。ヨベルというのは、五十年という節目に、奴隷も返す、借地も返し、何もかも元に戻すという年としてレビ記二五章に定められたもので、借金や借財のある人々にとっては、手放しの喜びの年であっただろう。イザヤ書では「主の恵の年」(六二・2)と呼ばれている。

 このヨべルは主イエスの到来によって実現する。ルカ福音書に、「主の御霊がわたしに宿っている。貧しい人々に福音を宣べ伝えさせるために、わたしを聖別してくださったからである。主はわたしをつかわして、囚人が解放され、盲人の目が開かれることを告げ知らせ、打ちひしがれている者に自由を得させ、主の恵の年を告げ知らせるのである」(四・18〜19)とある。ナザレの会堂でイエスはこのイザヤ書の巻物を開いて、「『この聖句は、あなたがたが耳にしたこの日に成就した』と説きはじめられた」。主の伝道生涯のスタートである。

 ヨべル、つまり「主の恵の年」で詠われた解放と自由は、人類を苦しめてきた罪と死からの解放の時の到来を指し、「聖別」とは油、つまり聖霊が注がれることであり、イザヤの預言は、油注がれた者(メシアの意味)イエス・キリストの就任式を指す。普通、就任式では上に立つものが司式をするが、イエスより上位の人はいないので、聖霊がセレモニーを執り行ったというのである。

 イエスはイザヤ書を開かれた訳だが、そこは62章、イザヤ書のほぼ最後だ。イエスが巻物を左手で開き、右手で巻き戻す様を人々は固唾を飲んで注目した。

 実はそこは天的な存在すべてがシーンと静まり返ってイエスを注目していた一大イベントなのである。歌舞伎で言えば、主人公がいよいよ花道から舞台へと登場する場面である。アブラハムやダビデなど旧約時代の多くの信仰者たちが見守る中、万雷の拍手の中で登場された主の晴れ姿はさぞ見ものであったろう。主の誕生より八百年も前のイザヤという大預言者の巻物を開きつつ、イエスご自身がこの預言が成就したことを宣言された瞬間は、何という遠大で荘厳な歴史的瞬間であっただろうか。そして、それは他でもない、あなたという一人の人を救いに導くための第一歩であったことを心に刻みたいものである。

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