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《2019年石叫ライブラリー》日付をクリックすると『石叫』をお読みいただけます。
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2021.1.3 ローマ人への手紙1:16-17 杉村宰師 「私は福音を恥としな
00:00 / 19:27
2021.1.3 ローマ人への手紙1:16-17 杉村宰師 「私は福音を恥としな
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2021.01.10 榊原宣行師 申命記24:22「救いを記憶して」
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2/28/21
2/28/21
アーバイン日本語キリスト教会 Irvine Japanese Christian Church


引退に寄せて ⑦
そういう中で滝井牧師が赴任するというのは、実に奇跡と言っても過言ではない。しかも、彼はフルタイムの仕事をしていて、週末だけメッセージを語る。アーヴァイン教会は小人数なので、フルタイムの牧師を雇う財政的余裕がないので、滝井牧師のように自分で仕事を持っている人でないと来てもらえないのである。実に、彼の赴任も榊原牧師のように神のくすしいみ業の一つである。 滝井牧師がアーヴァイン教会赴任の承諾をしてから、役員会は北米ホーリネス教団のミッション教会としての申請をし、彼がアーヴァイン教会のローカル・ハイヤーとして認めてもらう手続きを始めた。その結果、今年9月のホノルルでの教団総会正教師会で、その二つの事項が正式に認められたのだった。 引退を控えた牧師として、これ以上の安心はない。どのような教会であれ、時には内外からの影響を受けて大きく揺さぶられ、分裂することさえある。それだけに、教団教会の一員として認められるということは、兄弟姉妹教会と共に心を合わせて祈り、共に励まし合うことができるということであり、様々な困難に遭遇しても共に闘い、共に乗り越えて行けると
Rev. Tsukasa Sugimura
2025年12月28日読了時間: 2分


引退に寄せて ⑥
今年の春のことだ。2025年はアーヴァイン教会の創立20周年記念にあたる。ちょうど節目の良い時期に当たるので、僕は将来を模索していた。自宅のサイプレスからアーヴァイン教会まで片道40分はかかる。途中でピックアップする人がいる場合には、一時間以上はかかる。それに昨今、教会でのご用を終えてからの帰りが、体力的に厳しくなってきたこともあり、そろそろ潮時が来ていたことを実感していた。幸い、オレンジ郡教会の榊原のぶ牧師が、アーヴァイン教会の監督牧師でもあるので、何度か彼と相談し、誰が後継者に相応しいかを相談していたのである。その一人が滝井ジュン牧師であった。 滝井牧師は近隣のラハブラ市のカルヴァリー・チャペル日本語牧師である。彼はそこで牧会を始める前に、オレンジ郡教会の礼拝に出席していた。彼の妻のアニーさんの実家がロングビーチなので、2007年に日本から移住していたのだった。彼はすでに献身者として日本でも伝道していたので、僕は2009年からアーヴァイン教会で礼拝のご用をお願いした。月一回くらいのペースで3年ほど続いたが、それから程なくして、彼はラハブラで
Rev. Tsukasa Sugimura
2025年12月21日読了時間: 2分


引退に寄せて ⑤
その賛美は、僕に〈お父さん、天国で待っているよ。続けてこの信仰に生きてね。私はやがて愛する主イエス様の元に帰って行く。だから私のことは心配しないで。でも、あなたはあなた自身のことを心配してちょうだい〉という、僕への励ましのメッセージだったのだ。牧師とはいえ、信仰薄きこの者のために、まもなく天に帰る者として、愛する者に何を残すことができるのか。それはこの世で、どんな宝よりも尊く永続するものが信仰であることを、改めて気づかせてくれたのだった。そのために信仰の尊さ、素晴らしさが賛美となって、家内の口からほとばしり出たのだった。今もその賛美が僕の琴線を揺する。 さて、話は変わる。10年前のことだ。僕は、オレンジ郡教会とアーヴァイン教会と二つの教会の牧会もあり、疲労のあまり運転中意識を失ったことがあった。その時、僕は決めた。二つの教会の牧会はもう無理だと。とはいえ、アーヴァインは開拓教会で、もしそこを手放したら、まだまだ小人数の群れでは路頭に迷ってしまう。それに経済的に新しい牧師を雇うことはできない。一方、オレンジ郡教会は僕が辞めても教団の教会であるし、
Rev. Tsukasa Sugimura
2025年12月14日読了時間: 2分


引退に寄せて ④
手術以後、家内がもらい受けた心臓は、他人からの移植なので拒否反応が起きないために免疫抑制剤を飲まないといけない。一回でも忘れたら、即刻、医師に連絡しなければ命に関わるほどのものだ。それから10年を迎える頃、薬のせいであろう、腎臓がやられてしまい、人工透析が必要になった。さらに、20年目に宿痾(しゅくあ)の皮膚と骨のガンに侵されてしまった。その間、とにかく僕は家内に寄り添い、仕えようと思った。ところが、いくらそうしたいと思っても、最後の一年は5分ごとに、水が欲しい、背中が痒い、呼吸が苦しいと訴えてくる家内の叫びに、僕は心身ともに限界を覚えていた。それに家内の母が寝たっきりで、二人の食事、日ごとの通院、教会の仕事もあった。 ある日、家内が僕を呼んだ。夜中の眠っている間は良いのだが、日中は絶えず声がかかる。台所を片付け、ようやく一休みしようと思ってカウチに横になった時だった。その時、僕は家内の声を無視した。家内はまた叫んだ。家内はすぐにも僕の助けを必要としていたのだったが、それを重々知っていて僕は叫んだ。「聞けね!」(聞こえない)。それを聞いて家内は
Rev. Tsukasa Sugimura
2025年12月7日読了時間: 2分


引退に寄せて ③
そのような牧会のスタートではあったが、当時、僕はまだ按手礼を受けていなかったこともあり、ロサンゼルス教会の末広栄司牧師が時々来てくださり、聖餐式とメッセージを取り次いでくださった。僕にとっては、大きな励ましであり、心安らぐ時でもあった。礼拝後はいつも家内と僕を食事に連れて行ってくださる先生に、この時とばかり牧会上の課題についていろいろ訊ねることができた。その時、先生が仰ったある言葉が今も忘れられない。「杉村君、これから牧師として大切なことは、まず奥さんを大事にすることだよ。だから時々こんなふうに食事に連れ出すんだよ」と。牧師のみならず、伴侶を愛することは家庭円満の秘訣である。「夫婦仲良く」は子供達にとっても一番の安心事であり、世への証しになるからだ。これは幾ら強調しても強調し過ぎることはない。末広先生は、夫婦仲が問題で家庭が崩壊してゆく様を、多くの関係者の中に見てきたのであろう。この時の先生の励ましが、今も僕の牧会を支えている。 さて、40余年の牧会を振り返って、今も心痛むことがある。それが前妻・節子の心臓移植の件である。日本人として海外では初
Rev. Tsukasa Sugimura
2025年11月30日読了時間: 2分


引退に寄せて ②
「ノース・ウェスト・オリエント航空の出口で、大きな茶色のスーツケースに白いビリーグラハム大会の横長のスティッカーが目印です」と言うと、間もなく迎えに来てくれた。もし彼と連絡がついていなかったら、僕はどうなっていただろうかと思うと、神様の憐れみ深いご配慮を讃えずにはいられない。その夜、どこに泊まったのか覚えていないが、以来、ブライアン先生には恩がある。翌日、迎えに来るはずの牧師が、ようやくピックアップに来てくれて、その日は焼けるような暑さの中を、最初の赴任先、サンファナンド教会に向かった。 僕は、この最初の赴任先での緊張が、今でも思い出されて戸惑うことがある。何せ新任の牧師である。以前、北加サンタクララ教会を母教会とし、信徒として歩んで来たとしても、当時は学生であり、役員としての経験もなければ、牧者の働きの何たるかも知らない。せめて主任牧師のもとで副牧師として仕えるのであれば、少しは気が楽だったと思うが、サンファナンド教会の日語部は少人数だったから、牧師二人も置けるはずもなく、もとより教団にはそのような余裕もなかった。だがとにかく、そのような中、
Rev. Tsukasa Sugimura
2025年11月23日読了時間: 2分


引退に寄せて ①
僕は2025年いっぱいでアーヴァイン教会を引退する。20年間この教会で仕えさせていただいたが、サンファナンド教会(現在のクロスウェイ教会)での7年とオレンジ郡教会での27年と、その17年目に始まったアーヴァインの20年間の牧会を含めると、しめて44年となる。それは昨日始めた牧会のようでもあり、未だ信じられないのである。その歳月は走馬灯に映る影のように蘇ってくる。さて、赴任の第一歩は、予期しないトラブルから始まった。 聖書学院卒業後、僕は1981年の夏、アメリカ本土への途次、ハワイでインタビューを受けた。僕とは初対面の牧師たちとの顔合せであった。その後、中野雄一郎師のリードのもと、一行に励まされて、夕方頃ロサンゼルス空港に着いた。だが、僕を迎えてくれるはずの牧師がいない。どこにもいない! もちろん、担当牧師にあらかじめ到着時間を報せておいたのだが、待てど暮らせど現れない。電話をするにも硬貨はないし、電話の掛け方もよく覚えていない。 幸い、ウェスト・ロサンゼルス教会の日本語部の牧師が、教団での僕の任命を取り持ってくれたこともあり、彼の電話番号だけ
Rev. Tsukasa Sugimura
2025年11月16日読了時間: 2分


本当の偉大な人 ②
しかもアメリカ本土では、それが実現されつつあった。 「ハワイは日本に更に近く、すでにパール・ハーバーの苦杯をのまされている。誰にも遠慮する必要はない。堂々と立退き命令を発して、彼らの全財産を没収すべきである」 と、彼らは中将に押し強くせまった。 しかしエモンズ中将の心には、本土にのこして来た忠僕・日本人夫婦の声なき声が響いていた。 「ハワイの日本人を守ってください。彼等は決して恩を受けたアメリカに、背徳行為に出る様な人々ではありません。私共と同じ様な人々です」 との歎願の声が、電波の様に伝わって来る。政治家、実業家の激しい声よりも、エモンズ中将にはこの夫婦の声の方が強く響いた。かくて彼はハワイの一般日本人に対して立退き命令を下さなかった。 戦前ハワイには、大成功者と自他共に許した人々が、日本人の間に相当数あった。だが日米戦争という大嵐の前に彼らは実に無力であった。この大嵐の中にあってハワイに住む15万の日本人を守った真の人は、エモンズ氏に忠実に仕えた無名の日本人クリスチャン夫婦であった。 この話は、カネオへ教会の牧師で、今は故人となられ
Rev. Tsukasa Sugimura
2025年11月9日読了時間: 2分


本当に偉大な人 ①
今回は、ワシントン州スポーケン市のハイランド・パーク・メソジスト教会で、長年奉職した島田重雄牧師の説教を綴った本、『北米の地に御声は響く』から、「本当の偉大な人」というタイトルのメッセージを引用しよう。 今から50年ほど前のことである。ハワイのホノルル市にD・C・エモンズという青年将校がいた。彼は日本人の若い夫婦者を住み込みの働き人として雇い入れた。この日本人夫婦は、ホノルルから少し離れたところにある、カネオへという町の日本人教会の会員であった。この夫婦は忠実に働いてエモンズ夫妻に仕えた。やがてエモンズ氏が米国本土に栄転した時、彼はこの日本人夫婦に、「本土で今までと同じ様に働いてくれ」 と頼んだ。この夫婦は心よく承諾し、本土に移って約30年間、陰日向なく良く働いた。 日米戦争が勃発した時、エモンズ中将は再びハワイに総司令官として任命された。さて、本土からハワイに移る時、三〇年一日のように仕えてくれた日本人夫婦に、 「自分はハワイに行っても、決して日本人をいじめる様な事はしない。だから安心しなさい」 と、心配顔の夫婦をなぐさめ、固い約束をし
Rev. Tsukasa Sugimura
2025年11月2日読了時間: 2分


愛する者の救い ②
申し出を断った僕に、教授は慨嘆した。そして、その声掛けに答えて、もう一人のクラスメートが入社し、後年、地質調査技師となり、数年前に退職した。 さて次の今回の旅の目的は、僕の高校時代の友人の行方を探すことであった。その糸口は、弘前ホーリネス教会にある。いつもなら、僕を信仰に導いてくれた宣教師の教会が弘前市内にあるので、そこに出かけるのだが、今回はホーリネス教会にその友人が関係していたことを薄々知っていたので、そこに行くことにした。薄々、いうのは、高校の下校時にいつも一緒に帰宅していた彼が、時々キリスト教の話をチラつかせていたからである。そのことが近年、これまでにないほど心に響いていた。彼とは高校を出て以来、没交渉であった。そこで、兄に「今度、以前とは別の教会に行くけれど、一緒に行ぐか」と尋ねると、「ウン、へば行ぐが」と答えるではないか。まだ信仰を持っていない兄だが、僕の話をいつも黙々と聴いてくれる。それは何よりもありがたいことだ。 兄と一緒に教会の礼拝に出席した僕は、礼拝終了後に自己紹介をし、その際にかつての友人のことを尋ねた。すると、彼のお母
Rev. Tsukasa Sugimura
2025年10月26日読了時間: 2分


愛する者の救い ①
今回、10日間の日本の旅であったが、実に実り多い日々であった。その目的の一つは、兄との旅行であった。兄は独り者で私より5才上。昨年一番上の姉が召されて以来、実家で一人暮らしをしているので、外に誘い出そうと考えたのだった。兄は山登りが好きなので、これまで一緒に出かけるとなると、近間の山々の日帰りコースであった。だが、今回は日帰りではあっても、新幹線に乗って函館まで行くプランを立てた。兄は近年、外出が億劫になり、特に夏は暑いので、ほとんど家で過ごしていた。そんな兄を少しでも外に連れ出したいと思い、又、旅中で普段話せない将来のことなどもじっくり話したかったので、声を掛けたわけだ。驚いたことに兄はすぐに賛同した。「へば、いぐべ」と。 兄は40年前に函館山に行ったことがあるという。一人で北海道の最高峰・大雪山に登る途次、立ち寄ったのだ。僕らはこの旅では手始めに五稜郭に行くことにし、駅で一日乗り放題の電車の周遊券を買った。だが、五稜郭の近くまで電車で行っても、目的地まではしばし歩かなくてはならない。普段歩いていない兄には少々きつかったようだ。五稜郭内にはど
Rev. Tsukasa Sugimura
2025年10月19日読了時間: 2分


マンザナ収容所の下見 ⑤
マンザナを訪(おとな)う度に思うこと、それは強制収容所に入った人々の涙と苦しみである。日系二世の数は一世よりも多く、平均年齢18才で全体の60%も占めていた。彼らはアメリカ生まれの、れっきとしたアメリカ市民であった。その市民たる者が、裁判もなく一方的に奴隷のように拘引されて...
Rev. Tsukasa Sugimura
2025年10月12日読了時間: 2分


マンザナ収容所の下見 ④
家族が、みな正装したその胸に荷札をぶら下げながら、子羊がほふり場に引かれて行くように、黙々と彼らは引かれていった。ただ黙々と、そして黙々と。 さらに1942年11月までに、中西部に点在する10ヶ所もの強制収容所が完成し、集合所から再移送された。その場所たるや、都市から遠く...
Rev. Tsukasa Sugimura
2025年10月5日読了時間: 2分


マンザナ収容所の下見 ③
マンザナ近辺で是非訪れて見たい個所の一つは「古代滝」(Fossil Fall)である。1万年前、このシエラネヴァダ南部は氷河に覆われていた。その頃は、この辺りは氷河から流れる出る水が勢い良く流れていて、深い渓谷が出現するほどの激流が流れる川になっていた。その往時を偲ぶのが古...
Rev. Tsukasa Sugimura
2025年9月28日読了時間: 2分


20周年記念にあたり
この20年を振り返ってみる時に、いつも心にあるのは、アーヴァイン教会がジェームス・パーク先生とのコラボで始まったことであった。先生が居られなかったら、先生の友人の教会で礼拝が始まることはなかったし、アーヴァイン近辺のレント代はとても高くて借りられる状況ではなかったからである...
Rev. Tsukasa Sugimura
2025年9月21日読了時間: 2分


マンザナ収容所の下見 ②
次の痛みとは、収容所内にある元オーディトーリアムを改築した展示室を十分に見学する時間を与えられなかったことだ。帰りはトラフィックのこともあり、バスは夜7時までに帰らないといけないし、合同教会を回って行かなければならない。少しでも遅れると超過料金を支払うことになる。それでなく...
Rev. Tsukasa Sugimura
2025年9月14日読了時間: 2分


マンザナ収容所の下見 ①
先の8月29日(金)に、一年ぶりにマンザナ強制収容所に行ってきた。これは来年3月にICU(国際キリスト教大学)高校生一行20名が、マンザナを見学したいというので、その引率をする岡田朋記(とものり)先生が、僕にぜひ下見に同行して欲しいというので、行ってきた訳である。なぜ、彼が...
Rev. Tsukasa Sugimura
2025年9月7日読了時間: 2分


黙々とアメリカに仕えた人
今回は戦時中のシアトルで、アメリカに献身的に尽くした日本人のお話だ。 「シアトルにフランク・シゲムラという日系学生がいた。彼はアメリカ市民としてミネソタのカールトン大学から、陸軍当局に兵役を申し出たのであるが、日系人であるが故に拒絶されてしまう。だが彼の担当教授が陸軍当局へ...
Rev. Tsukasa Sugimura
2025年8月31日読了時間: 2分


愛を受ける幸い
今回は、渡辺秋治というフリーメソジスト教団牧師の生涯を描いた、渡辺けさえ作の『主による歩みの跡』からの引用である。実に覚醒の一作である。 渡辺秋治牧師が、ある美くしく整ったレストランで友人の串野氏と昼食を頂いた時のこと。私が、「一人になったのだから、今後は人に迷惑をかけな...
Rev. Tsukasa Sugimura
2025年8月24日読了時間: 2分


日々生きる価値
今回は今年の6月20日の『羅府新報』に載った、ウィンターズバーグ長老教会の清水まお牧師の記事の紹介をしよう。命の価値を考えさせられる内容だ。 ある日、いつものように何気なくSNSを見ていると、ある動画が流れてきた。それは、一人の若者が道行く人を呼び止めて、このような質問を...
Rev. Tsukasa Sugimura
2025年8月17日読了時間: 2分
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