top of page
《2019年石叫ライブラリー》日付をクリックすると『石叫』をお読みいただけます。
1月
2月
6月
7月
8月
9月
10月
11月
12月
1月
2月
2021.1.3 ローマ人への手紙1:16-17 杉村宰師 「私は福音を恥としな
00:00 / 19:27
2021.1.3 ローマ人への手紙1:16-17 杉村宰師 「私は福音を恥としな
00:00 / 19:27
2021.01.10 榊原宣行師 申命記24:22「救いを記憶して」
00:00 / 18:16
2/28/21
2/28/21
アーバイン日本語キリスト教会 Irvine Japanese Christian Church


Jun 7, 2026「永遠のいのちのことば」
シモン・ペトロが答えた。「主よ、わたしたちはだれのところへ行きましょうか。あなたは永遠の命の言葉を持っておられます。 あなたこそ神の聖者であると、わたしたちは信じ、また知っています。」 ヨハネによる福音書 6:68-69 https://www.bible.com/bible/1819/JHN.6.68-69.新共同訳
Irvine Nihongo Kyokai
6 日前読了時間: 1分


タッキーのやっぱり聖書でしょ
「十年選手」という言葉がありますが、これは例えばスポーツや特定の職業などで10年以上の選手生活やキャリアを持つ人のことで、長年その仕事や道に従事し、豊富な経験を積んで熟達した人のことを指します。十年間も何かをしていれば、かなりのベテランです。やはり年数というのは大事だと思わされます。 「聖書を伝える、聖書を教えるのは牧師(のみ)の役目だ。神学校に行った者のみが聖書を教える資格があるんだ」という、日本のキリスト教界にある間違った偏見をなくして欲しいとボクは常々思っています。「神学校やバイブルスクールに行ってないと、聖書を教えられない」という間違った思い込みが、大なり小なりありませんか?日本の教会では、「献身者」と「一般信徒」と二分化してしまっているところに、この悲劇の始まりがあると思うんです。 新約聖書の「ヘブル人への手紙」5章12節にこうあります、 「あなたがたは、年数からすれば教師になっていなければならないにもかかわらず・・・」 この箇所は、信仰の期間が長いのにもかかわらず成熟しておらず霊的な成長が止まっていて、基本的な教理を学び直さなければな
Rev. Jun Takii
6 日前読了時間: 3分


May 31, 2026「善きサマリア人」
律法の専門家は言った。「その人を助けた人です。」そこで、イエスは言われた。「行って、あなたも同じようにしなさい。」 ルカによる福音書 10:37 https://www.bible.com/bible/1819/LUK.10.37.新共同訳
Irvine Nihongo Kyokai
5月31日読了時間: 1分


タッキーのやっぱり聖書でしょ
旧約聖書のイザヤ書6章8節に、預言者イザヤが神の幻を見た際、神が 「誰を遣わすべきか。誰が私たちのために行くだろうか」 と呼びかけました。そこでイザヤは自分の不完全さを自覚しつつも、神の呼びかけに対して 「ここに私がおります。私を遣わしてください」 と志願した、という出来事がかあります。今日でも、この箇所のフレーズは、神様からの呼びかけに応えて、どこかに出ていく際によく引用されます。 全ての日本人クリスチャンには当てはまらないとは思いますが、ボクがこれまでに見て来た日本人クリスチャンの多くには、変な間違った先入観というか固定観念があって、「私は神学校に行ってもいないし、牧師でもないから、神様のことを人に伝えることはできないんだ。そのような資格はないんだ」と何となく思っている人が多かったです。「伝道とか説教をすることは、宗教の専門家である”献身者”がやるんであって、私のような一般クリスチャンには関係のないことだ」という間違った思い込みがないでしょうか?また聞く側としても、「牧師の語る聖書の話でないと、聞く価値がない」というこれまた間違った先入観がな
Rev. Jun Takii
5月31日読了時間: 3分


⽗なる神が引き寄せてくださらなければ、誰もイエスのもとに来ることはできない
ユダヤ人たちは、イエスが「わたしは天から降って来たパンである」と言われたので、イエスのことでつぶやき始め、 こう言った。「これはヨセフの息子のイエスではないか。我々はその父も母も知っている。どうして今、『わたしは天から降って来た』などと言うのか。」 イエスは答えて言われた。「つぶやき合うのはやめなさい。 わたしをお遣わしになった父が引き寄せてくださらなければ、だれもわたしのもとへ来ることはできない。わたしはその人を終わりの日に復活させる。 ヨハネによる福音書 6:41-44 https://www.bible.com/bible/1819/JHN.6.41-44.新共同訳
Irvine Nihongo Kyokai
5月24日読了時間: 1分


タッキーのやっぱり聖書でしょ
クリスチャンの生き方として、よく「たった一人のオーディエンス(観客)がいると思って生きなさい。その方を喜ばせる為に」と言われます。 もちろんこの「たった一人のオーディエンス」とは神の事です。 人を見て、人を喜ばせようと集中して生きるのでななく、神に集中して神を喜ばせようとして生きる。 パウロは、「今なお人々を喜ばせようとしているのなら、私はキリストのしもべではない」と言っています(ガラテヤ1:10)。 そのことを考えると、あるピアニストの話を思い浮かべます。 あるピアニストが大きなコンサートホールで演奏した後、もう会場では皆が割れんばかりの拍手、スタンディングオベーションでした。 しかし彼女は喜べなかった。なぜでしょうか?それは、会場の中にたった一人、全く喜んでいなかったばかりか、ものすごく不満そうな顔をした人を見つけたから。 その人は、彼女のピアノの全てを教えてくれて、彼女のピアノの演奏の全てを知っていた人。彼女のピアノの先生。 「あなた、他の人の目と耳はごまかせたかもしれない。上手く演奏しているように見えたかも知れない。でも私は全て分かってい
Rev. Jun Takii
5月24日読了時間: 2分


May 17, 2026「彼にさわり」
イエスがある町におられたとき、そこに、全身重い皮膚病にかかった人がいた。この人はイエスを見てひれ伏し、「主よ、御心ならば、わたしを清くすることがおできになります」と願った。 イエスが手を差し伸べてその人に触れ、「よろしい。清くなれ」と言われると、たちまち重い皮膚病は去った。 イエスは厳しくお命じになった。「だれにも話してはいけない。ただ、行って祭司に体を見せ、モーセが定めたとおりに清めの献げ物をし、人々に証明しなさい。」 しかし、イエスのうわさはますます広まったので、大勢の群衆が、教えを聞いたり病気をいやしていただいたりするために、集まって来た。 だが、イエスは人里離れた所に退いて祈っておられた。 ルカによる福音書 5:12-16 https://www.bible.com/bible/1819/LUK.5.12-16.新共同訳
Irvine Nihongo Kyokai
5月17日読了時間: 1分


タッキーのやっぱり聖書でしょ
ヨハネ6章に出てくる、大勢の人たち(男性だけで5,000人)を一人の少年のわずかな弁当で養ったという話ですが、これは全ての4つの福音書に書いてある唯一の奇跡です。(もちろん復活以外で。) しかもヨハネの福音書では、イエスのミニストリーの真ん中あたりの2年間をこの6章に凝縮してあります。3年ほどの公生涯の真ん中の2年間をこの6章だけに記した。いろんなことがあっただろうに、それをこの6章だけに凝縮して記した。その中の一つがこの群衆に食事を与えたという出来事についてです。 私たちは、飲み食いの記憶というものはすごく強烈に残っているのでは、と思います。誰かと食べに行った時のこと、また食べる物がなく腹ペコの時に腹いっぱいになるまで食べた時の記憶というものは、特に記憶に残りますよね。 一週間前の教会でのメッセージの内容は覚えてなくても、「誰々と、どこどこに食べに行った。何を食べた。美味しかった」というようなものは、何十年経ってもよく覚えているのではないでしょうか?特に、食べれない時に、食事を出してもらった、ってすごく後々まで忘れずに感謝しますよね。...
Rev. Jun Takii
5月17日読了時間: 4分


May 10, 2026「神が遣わした者を信じること、それが神のわざ」
朽ちる食べ物のためではなく、いつまでもなくならないで、永遠の命に至る食べ物のために働きなさい。これこそ、人の子があなたがたに与える食べ物である。父である神が、人の子を認証されたからである。」 そこで彼らが、「神の業を行うためには、何をしたらよいでしょうか」と言うと、 イエスは答えて言われた。「神がお遣わしになった者を信じること、それが神の業である。」 ヨハネによる福音書 6:27-29 https://www.bible.com/bible/1819/JHN.6.27-29.新共同訳
Irvine Nihongo Kyokai
5月10日読了時間: 1分


May 3, 2026「五つの証言者」
「もし、わたしが自分自身について証しをするなら、その証しは真実ではない。 ヨハネによる福音書 5:31 https://www.bible.com/bible/1819/JHN.5.31.新共同訳
Irvine Nihongo Kyokai
5月10日読了時間: 1分


タッキーのやっぱり聖書でしょ
Happy mothers' day!お母さんたち、いつもありがとう!! 皆さん、「献身している人」と言ったら誰を思い浮かべますか? 私の言ってる献身者と言うのは、何も教会の中でしか通用しない牧師だとか、宣教師だとかのみを指す「献身者」ではなく、誰かのために自分の自由や身を捧げている人たちのことです。そう考えたら、母ほど献身者という表現がふさわしい人はいないんじゃないか、と思います。 検索すると「献身者(けんしんしゃ)」とは、自分の利益を二の次にして、特定の人や物事のために身も心もささげて尽くす人を指します。 もっと言うとボクら神を信じ、神に従う者は、何をしていようがどんな職に就こうが全て献身者であるべきだと思いませんか? クリスチャンとして献身して会社員、アスリート、献身して主婦、献身して学生、献身してリタイヤした人、献身して倉庫のワーカー、献身してドクター、エンジニア、セールスマン、教師、などなど。 牧師だけが献身者では決してない。献身している場所が違うだけですよね。 さて、今日は母の日、特に母親は献身者ですよね! 赤ちゃんがおなかの中にい
Rev. Jun Takii
5月10日読了時間: 3分


タッキーのやっぱり聖書でしょ
母の日が近いので、それにちなんだ話を。 皆さん、「献身者」と言ったら誰を思い浮かべますか? ウェブで検索すると「献身者」とは、「自分の利益を二の次にして、特定の人や物事のために身も心もささげて尽くす人」を指すそうです。 そう考えたら、母ほど献身者という表現がふさわしい人はいないんじゃないでしょうか? 赤ちゃんがおなかの中にいる時だけではなく、子供が生まれてからも自分を犠牲にして子育て。育児の為に仕事を変えたり、時には退職までしたり、自己を犠牲にして子育て。これほどまでに子供に尽くすなんて!これほどの献身者はないと思います。 自分の都合なんて後回し。子供の都合が最優先になるんですから。 前回バタフライエフェクトについて少し書きましたが、些細な出来事が後になり思いもよらない結末に繋がるってことあるんですよね。 母親の子供たちに対して今やってくれていることが、いつか大きな影響力となり次の世代に残る。すごいことですよ、母親の役割の大きさ、価値、影響力って。 今この世の宝の価値なんて、天国に行ったら大したものではなくなります。 例えば、どこかの国から来た
Rev. Jun Takii
5月3日読了時間: 2分


Apr 26, 2026「さばきにあうことがなく、死から命に移っている」
はっきり言っておく。わたしの言葉を聞いて、わたしをお遣わしになった方を信じる者は、永遠の命を得、また、裁かれることなく、死から命へと移っている。 はっきり言っておく。死んだ者が神の子の声を聞く時が来る。今やその時である。その声を聞いた者は生きる。 ヨハネによる福音書 5:24-25 https://www.bible.com/bible/1819/JHN.5.24-25.新共同訳
Irvine Nihongo Kyokai
4月26日読了時間: 1分


タッキーのやっぱり聖書でしょ
「お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい」、と聖書は言います。(エペソ人への手紙4章32節) NHKの番組に、『映像の世紀バタフライエフェクト』というのがあります。番組のテーマ・内容は、歴史上のささやかな出来事や人物の行動が、いかに連鎖し、世界の運命を動かしたかを描くドキュメンタリー番組です。「一羽の蝶の羽ばたきが嵐を起こす」、それは蝶の羽ばたきのような、ひとりひとりのささやかな営みが、いかに連鎖し、世界を動かしていくのか、を紹介しています。この「バタフライエフェクト」というフレーズは、「小さな出来事が、最終的に予想もしなかった大きな結果につながる」という因果関係を強調する比喩的な表現です。 私たちが与えるほんの小さな親切や心配りが、周りの人の人生のコースや運命を、劇的に変えてしまうことってあるんですよね。 昔こんなことがありました。ボクが学生でアメリカに来たばかりの頃、とあるアメリカ人の家に一部屋借りて住むことになりました。すぐに簡単な生活に必要な物などを購入して、やっ
Rev. Jun Takii
4月26日読了時間: 3分


Apr 19, 2026「向こう岸へ渡ろう」
ある日のこと、イエスが弟子たちと一緒に舟に乗り、「湖の向こう岸に渡ろう」と言われたので、船出した。 ルカによる福音書 8:22 https://www.bible.com/bible/1819/LUK.8.22.新共同訳
Irvine Nihongo Kyokai
4月19日読了時間: 1分


タッキーのやっぱり聖書でしょ
またかと思われるかも知れませんが、また2列王記7章に出てくる4人のらい病人の話です。 当時、彼らの町サマリアは包囲されていて、アラムの軍隊が彼らを囲んでいた。 その町はアラムによって包囲されていて兵糧攻めにあっていてインフレはひどいもので(6章の後半)、鳥の糞でさえもものすごい値がついていた。牛の頭などは一人の年収以上という高価なものになっていた。今アメリカでのインフレもすごい、でもアメリカのインフレなんかとは比べ物にならない位の物価の上昇がそこにあった。 そこで動いたのは誰か。らい病と言う病気で街の中に入れなかった4人の男たち。もう人生に対して何の希望もなかった、ただ死を待つだけだったかも知れない彼ら。彼らは町が大飢饉であったので、もちろん彼ら自身はそれまでもひどい対応を受けていただろう。 「われわれはどうして死ぬまでここに座っていなければならないのか。たとえ町に入ろうと言ったところで、町は食糧難だから、われわれはそこで死ななければならない。ここに座っていても死ぬだけだ。さあ今、アラムの陣営に入り込もう。もし彼らがわれわれを生かしておいてくれる
Rev. Jun Takii
4月19日読了時間: 2分


Apr 12, 2026「沖へ出でよ」
イエスがゲネサレト湖畔に立っておられると、神の言葉を聞こうとして、群衆がその周りに押し寄せて来た。 イエスは、二そうの舟が岸にあるのを御覧になった。漁師たちは、舟から上がって網を洗っていた。 そこでイエスは、そのうちの一そうであるシモンの持ち舟に乗り、岸から少し漕ぎ出すようにお頼みになった。そして、腰を下ろして舟から群衆に教え始められた。 話し終わったとき、シモンに、「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい」と言われた。 シモンは、「先生、わたしたちは、夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした。しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」と答えた。 そして、漁師たちがそのとおりにすると、おびただしい魚がかかり、網が破れそうになった。 そこで、もう一そうの舟にいる仲間に合図して、来て手を貸してくれるように頼んだ。彼らは来て、二そうの舟を魚でいっぱいにしたので、舟は沈みそうになった。 これを見たシモン・ペトロは、イエスの足もとにひれ伏して、「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです」と言った。 とれた魚にシモンも一緒にいた者も皆
Irvine Nihongo Kyokai
4月12日読了時間: 2分


タッキーのやっぱり聖書でしょ
今回は、最近趣味になっているウクレレについてです。よく見るウクレレ動画で、山口岩男さんという日本を代表するウクレレプレーヤーがこのように言っていました。 『最近の日本のウクレレレッスン動画を見ていると、とにかく「あれはいけない」「これはいけない」といった**「禁止事項」**が多すぎると感じます。 「親指を出してはいけない」「正しい持ち方はこれだ」といった画一的な指導は、一見親切に見えますが、実は教える側が「なぜその動きになるのか」を説明する手間を省き、楽をしているだけではないでしょうか。何も知らない生徒さんに対して、自分の「型」を上から押し付けるような姿勢には、強い違和感を覚えます。 海外の奏者たちを見れば分かりますが、持ち方は千差万別で、誰も「型」なんて気にしていません。ウクレレは本来自由な楽器です。ひたすら弾き込む中で、自分の体格や動きに最適化されたスタイルこそが、その人にとっての「正解」になるはずです。 視聴者の方からも「適当といういい加減で自由な弾き方が好き」という声をいただきますが、まさにその通りだと思います。音楽は「型」にハマることで
Rev. Jun Takii
4月12日読了時間: 3分


Apr 5, 2026「イエスの復活は天国への希望」
さて、安息日が終わって、週の初めの日の明け方に、マグダラのマリアともう一人のマリアが、墓を見に行った。 すると、大きな地震が起こった。主の天使が天から降って近寄り、石をわきへ転がし、その上に座ったのである。 その姿は稲妻のように輝き、衣は雪のように白かった。 番兵たちは、恐ろしさのあまり震え上がり、死人のようになった。 天使は婦人たちに言った。「恐れることはない。十字架につけられたイエスを捜しているのだろうが、 あの方は、ここにはおられない。かねて言われていたとおり、復活なさったのだ。さあ、遺体の置いてあった場所を見なさい。 それから、急いで行って弟子たちにこう告げなさい。『あの方は死者の中から復活された。そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれる。そこでお目にかかれる。』確かに、あなたがたに伝えました。」 婦人たちは、恐れながらも大いに喜び、急いで墓を立ち去り、弟子たちに知らせるために走って行った。 すると、イエスが行く手に立っていて、「おはよう」と言われたので、婦人たちは近寄り、イエスの足を抱き、その前にひれ伏した。 マタイによる福音書 2
Irvine Nihongo Kyokai
4月5日読了時間: 1分


タッキーのやっぱり聖書でしょ
この日曜日はイースター、復活祭です。主イエスが私たちの罪の為に死なれ、十字架に付けられ、死んで、墓に葬られ、3日目によみがえったことを、私たちクリスチャンが祝う日です。死をもovercame(克服した、乗り越えた、打ち勝った)したのがイエス。 でも、「一度死んで葬られた人間が、3日目によみがえるなんて、そんなことあるわけねーじゃん」と思われる人たちもたくさんいると思います。死んだ人がよみがえるなんてあり得ない、というのは一般的にはごくごく当然の意見だと思いますが、なぜそう思ってしまうのでしょうか?それは、「神様が存在する」という前提で話をしてないからです。神だったら何でもできたはずです。 色々なモノには前提というものがあります。その上で色んなことが成り立っています。 例えばテレビのドラマなどを見ても「このドラマはフィクションです」や、「実話に基づいた出来事です」など書いてある時があります。そういう前提を持って観ると、TVドラマや映画などの観方が変わってくると思います。 それと同様に聖書にも前提というものがあります。それは「神がおられて、全てを創造
Rev. Jun Takii
4月5日読了時間: 2分
bottom of page