top of page

タッキーのやっぱり聖書でしょ

黙示録21章で、新しい天と地についての描写があります。

「神は自ら人と共にいて、その神となり、 彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。最初のものは過ぎ去ったからである。」

天国では悲しみも嘆きも苦労もない、とあります。では、なぜそこで神はそこにいる人たちの目の涙をぬぐい取ってくださるのでしょうか。

それは、もしかしたらこの世での「失った機会 lost opportunity」に対する後悔の涙かも知れませんね。


『シンドラーのリスト』という映画があります。これは、第二次世界大戦中にドイツ人実業家オスカー・シンドラーが、1100人以上のポーランド系ユダヤ人をナチスの強制収容所送りから救い出した実話をベースにした1993年のスピルバーグ監督の映画です。

金儲けのためのにドイツ人実業家のオスカー・シンドラーは1939年に工場を入手しました。その後、戦争で一儲けしようと軍幹部に賄賂を贈り、安価な労働力として多くのユダヤ人を雇い入れ、事業を大きくしていきます。

次第にナチスによるユダヤ人への迫害が激しくなり、悲惨な虐殺現場をシンドラーは目の当たりにします。そこでシンドラーは金儲けの道具として見ていたユダヤ人たちを「軍需工場にこの労働者が必要だ」と言って、救うべきユダヤ人たちをリストアップさせます。そして全財産をワイロと工場の維持に注ぎ込み、ユダヤ人労働者たちの命を守り抜くのでした。

1945年、ドイツの敗戦により終戦を迎え、シンドラーが救ったユダヤ人たちは自由を取り戻します。

一方シンドラーは、戦犯となる為(彼がナチス党員であり、戦争を利用して利益を得た者だったから)多くのユダヤ人従業員に別れを告げて去っていきます。

以下は、その映画『シンドラーのリスト』のラストでシンドラーが彼らに囲まれて、彼らと別れるシーンの台詞です。もっと多くの命を救えたはずだと、愛車やバッジを手に、従業員であったユダヤ人会計士イザック・シュターンに自分の無力さを嘆き泣き崩れたシーンです。


オスカー・シンドラー:もっと助け出せたはずだ。もっと助けられた。わからない……もしあの時……もっと助けられたのに。

イザック・シュターン:オスカー、あなたのおかげで1100人もの命が救われたのです。彼らを見てください。

オスカー・シンドラー:もっと金さえあれば……。あれほど大金を無駄にしてしまった。君には想像もつかないだろうが……もしあの時……。

イザック・シュターン:あなたがなしたことのおかげで、何世代にもわたって命が続いていくのです。

オスカー・シンドラー:十分じゃなかった!

イザック・シュターン:あなたは多くのことを成し遂げました。

[シンドラー、自分の車に目をやる]

オスカー・シンドラー:この車だ。ゲートならこの車を買っていただろう。なぜ手放さなかったんだ? あそこに10人……10人だ。あと10人助けられた。

[上着の襟からナチスの党員バッジを外す]

オスカー・シンドラー:このバッジ。2人分だ。金(ゴールド)でできている。あと2人助けられたはずだ。あれなら2人と交換できた……せめて1人でも。あと1人だ。ひとりの人間を救えたんだ、シュターン。これ一つで。

[嗚咽しながら]

オスカー・シンドラー:あと一人、助けられたかもしれないのに……そうしなかった! 俺は……俺はしなかったんだ!


たくさんのユダヤ人を救ってもなお、最後の最後で「あと一人」と悔いて泣き崩れたたシンドラー。

私たちも天国に行った後、「なぜあそこであんなことの為に無駄に時間と労力と金銭を使ってしまったんだろう・・・。あんなことしてなかったら、もっとあの人にも福音が伝えられたのに・・・」と、この世で福音を伝えられなかった失った機会に対しての涙を流すんだろうなぁと思います。

私たちが福音を伝えることができるのは、この世でのみです。

でもその涙さえも神様はぬぐい取ってくださる。

でも、できればその涙は少なくしたいですね。できればこの地上で出来る限りのたくさんの人たちに、福音を伝えていきたいですよね。

コメント


© Copyright Irvine Japanese Christian Church
bottom of page