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タッキーのやっぱり聖書でしょ

23 時間前
読了時間: 4分

私たちは、「これさえ手に入れば幸せになれる」と思って、いろいろなものを追いかけます。もっとお金があれば、もっと良い家に住めれば、もっと評価されれば、もっと才能があれば……。しかし、実際にそれを手に入れた後で、また別の「もっと」が生まれることがあります。欲しかったものを手に入れたのに、なぜか満たされない。そんな経験をしたことがある人もいるでしょう。もしかすると、私たちに必要なのは「もっと多くのもの」ではなく、「今あるものを感謝を持って受け取り、受け入れることのできる心」なのかもしれません。


箴言30章8節には、「私に定められた分の食物で私を養ってください」という祈りがあります。これは、「夢を持つな」という意味ではありません。「何も望むな」という教えでもありません。むしろ、「自分に本当に必要なものを、私自身がすべて分かっているとは限らない」ということを認める祈りなのではないでしょうか。私たちには、自分では選べないことがたくさんあります。生まれた環境、家族、持って生まれた性格や才能、出会った人、これまで経験してきたこと。そして、今、自分が置かれている場所。その中には、「どうして自分はこんな状況なんだろう」と思うものもあるかもしれません。


けれども、苦しかった経験が、人の痛みを理解する力になることがあります。思い通りにならなかった経験が、自分にとって本当に大切なものを教えてくれることもあります。遠回りだと思っていた道が、後になって意味を持っていたと気づくこともあります。だから、「今の自分では足りない」と決めつけなくてもいいのではないでしょうか。今の自分には、今の自分に必要なものがある。今しかできないことがある。今だからこそ出会える人がいる。そして、今だからこそ学べることがある。聖書の言葉は、そんなふうに「今」を見つめ直すきっかけを与えてくれます。


私たちは未来のことを心配します。「この先、どうなるのだろう」「仕事は大丈夫だろうか」「お金は足りるだろうか」「家族は大丈夫だろうか」。将来に備えることは大切です。でも、まだ来ていない未来を心配するあまり、今日与えられているものを見失ってしまうことがあります。明日のことは、誰にも分かりません。でも、今日という一日は、今ここにあります。今日、食べるものがある。帰る場所がある。話をする相手がいる。誰かを愛することができる。誰かの役に立つことができる。そして、今日という日を生きている。それだけでも、私たちの人生には、すでにたくさんのものが与えられているのかもしれません。過去や未来ではない「今」、現状ではない別の所ではなく「ここ」にフォーカスしましょう。


「自分には何が足りないのだろう」ではなく、「自分には何が与えられているのだろう」と考えてみるのです。また、さらに一歩進んで、「神様は、今の私に何を与えることが本当に良いのかをご存じなのではないだろうか」と考えることもできます。


私たちは、「もっと」と願うことをやめる必要はありません。夢を持っていい。努力していい。豊かさを求めてもいい。ただ、その「もっと」を追いかけるあまり、今すでに与えられているものを見失わないことです。なぜなら、人生で本当に大切なのは、「どれだけ持っているか」だけではなく、「持っているものを、どのような心で受け取っているか」ではないでしょうか。たくさん持っていても、いつも不満なら、心は貧しいかもしれません。反対に、決して多くを持っていなくても、今日あるものに感謝し、周りの人を大切にし、自分の人生を受け入れているなら、その人の心は豊かかもしれません。そして聖書は、その豊かさの源に神様がいると教えています。


だから、箴言30章8節の祈りを、私たち自身の言葉に置き換えてみたいと思います。「神様、私が欲しいものを何でも与えてください、ではなく、私に本当に必要なものを与えてください。多く与えられた時には、それによって大切なものを見失わないようにしてください。少ない時には、絶望して自棄(やけ)を起こすことがないようにしてください。そして、今与えられているものに気づき、感謝できる心を与えてください。」


私たちは、明日何が起こるかを知りません。でも、今日という日を、この場所で生きることはできます。だから、「もっと何かがあれば幸せになれる」と考える前に、一度立ち止まってみたいのです。「今の私には、すでに何が与えられているだろうか。」その答えの中に、これまで気づかなかった恵みが見つかるかもしれません。「もっと」ではなく、まず「ありがとう」。「足りない」ではなく、「今日、与えられているもの」に目を向ける。そんな生き方の中に、私たちが探している「満ち足りる」ということの一つの答えがあるのかもしれません。

繰り返し言いますが、「今、ここ」を生きましょう。過去を悔やみ、将来を心配しすぎるのではなく、また他の境遇を空想して生きるのではなく。私たちは、「今、ここ」しか、実際に生きられないのですから。

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