愛する者の救い ①
- Rev. Tsukasa Sugimura
- 10月19日
- 読了時間: 2分
今回、10日間の日本の旅であったが、実に実り多い日々であった。その目的の一つは、兄との旅行であった。兄は独り者で私より5才上。昨年一番上の姉が召されて以来、実家で一人暮らしをしているので、外に誘い出そうと考えたのだった。兄は山登りが好きなので、これまで一緒に出かけるとなると、近間の山々の日帰りコースであった。だが、今回は日帰りではあっても、新幹線に乗って函館まで行くプランを立てた。兄は近年、外出が億劫になり、特に夏は暑いので、ほとんど家で過ごしていた。そんな兄を少しでも外に連れ出したいと思い、又、旅中で普段話せない将来のことなどもじっくり話したかったので、声を掛けたわけだ。驚いたことに兄はすぐに賛同した。「へば、いぐべ」と。
兄は40年前に函館山に行ったことがあるという。一人で北海道の最高峰・大雪山に登る途次、立ち寄ったのだ。僕らはこの旅では手始めに五稜郭に行くことにし、駅で一日乗り放題の電車の周遊券を買った。だが、五稜郭の近くまで電車で行っても、目的地まではしばし歩かなくてはならない。普段歩いていない兄には少々きつかったようだ。五稜郭内にはどっしり構えた奉行所がある。以前から建物に興味がある兄は感動したようだった。「ようだ」というのは、兄は自分からはあまり話さないので、こちらが気持ちを押し計るのである。
150年前には、ここで賊軍となった政府軍が壊滅し、新政府軍によって明治政府が始まる訳であるが、最北の地で日本再興のために戦った彼らは、両軍とも国を思い、将来を憂えて、尊い命を捧げたのだった。そう考えると、この地が実に愛しく、慕わしく思えた。その後、いよいよケーブルカーで函館山に登った。世界三大夜景の一つと言われているだけに、その眺望は実に雄大である。南に目を向ければ水平線の彼方に津軽半島と下北半島が霞んで見える。たった今、その海面下の青函トンネルを通ってきたのかと思うと、実に感慨深い。
僕は大学卒業時に、教授から「シギ村、おめ青函トンネル掘削会社に就職しないか」と言われた。「このど田舎の大学に、大手の会社から声が掛かることはまずない。んだがら行げ」という。教授は2回も声を掛けてくれたが、当時の僕はアメリカでの学びを考えていて、その準備に取りかかっていた頃だった。



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