愛する者の救い ②
- Rev. Tsukasa Sugimura
- 10月26日
- 読了時間: 2分
申し出を断った僕に、教授は慨嘆した。そして、その声掛けに答えて、もう一人のクラスメートが入社し、後年、地質調査技師となり、数年前に退職した。
さて次の今回の旅の目的は、僕の高校時代の友人の行方を探すことであった。その糸口は、弘前ホーリネス教会にある。いつもなら、僕を信仰に導いてくれた宣教師の教会が弘前市内にあるので、そこに出かけるのだが、今回はホーリネス教会にその友人が関係していたことを薄々知っていたので、そこに行くことにした。薄々、いうのは、高校の下校時にいつも一緒に帰宅していた彼が、時々キリスト教の話をチラつかせていたからである。そのことが近年、これまでにないほど心に響いていた。彼とは高校を出て以来、没交渉であった。そこで、兄に「今度、以前とは別の教会に行くけれど、一緒に行ぐか」と尋ねると、「ウン、へば行ぐが」と答えるではないか。まだ信仰を持っていない兄だが、僕の話をいつも黙々と聴いてくれる。それは何よりもありがたいことだ。
兄と一緒に教会の礼拝に出席した僕は、礼拝終了後に自己紹介をし、その際にかつての友人のことを尋ねた。すると、彼のお母さんはとても熱心なクリスチャンで、その熱心さは土地の一部を教会に捧げたほどだと言う。しかも、彼の義理のお姉さんもその教会に通っているという。残念ながら、その日は私事で見えられなかった。また礼拝には彼のお母さんの伝道で救われたという女性もいた。その人は僕のいた大鰐の出身で、高校も同じで、しかも同年代だという。僕は別の町の中学校出身なので、幾ら顔を見ても知る由もなかった訳だ。
さて、高校時代の友人の連絡先をもらったので、翌日、彼に電話した。彼は大阪に住んでいた。健康状態を尋ねると、人工透析を始めてもう一年経つという。彼に高校時代、教会に通っていたかどうか尋ねると、中学までは行っていたが、今は信仰を持っていないという。しばしの会話の最後に彼のために祈った。僕の祈りに応えて彼がどんな応答をするのか幾分不安だったが、彼はためらわず、力強く「アーメン」と答えてくれた。その時、天国で今も彼の救いのために祈り続けているであろう彼の母の祈りに応えて、神がみ業をなして下さっているのを感じた。僕は来年、必ず会いに行くと約束して携帯を切った。



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