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タッキーのやっぱり聖書でしょ

ヨハネ9章に盲人の話が出てきます。男性は生まれつき盲目という深い苦しみの中にいました。

でも、この不運とも不幸とも思える彼の境遇でしたが、彼に苦しみがあったからこそ、イエス・キリストに出会い、奇跡を通して「神のわざ」が周囲の人々やパリサイ人に示されました。苦しみがなければ、彼はイエスを信じることも、周囲に力強い証しをすることもありませんでした。


日本人クリスチャンで、身体的な苦しみの中で、本当に限られた体の一部しか動かせなくなってしまったにもかかわらず、神様を信じ、神様を賛美し、神様の証し人としてこの世での生涯を終えられた二人を紹介したいと思います。

水野源三さんと星野富弘さんです。


水野源三さんは、1937年(昭和12年)1月2日から1984年(昭和59年)2月6日までの時代を生き、47歳で亡くなりました。

9歳の時に集団赤痢により脳性麻痺を患い、目と耳以外の身体機能を失いました。しかし12歳の時に地元の牧師から贈られた聖書に出会い、キリスト教の信仰を持ち、18歳で母親との「まばたき」によるコミュニケーションで詩作を始めました。47歳で多くの心に響く詩を残し、天に召されるまで、源三さんはキリスト教界だけでなく日本中で大きな感動を呼びました。

「私の恵みはあなたに十分である。私の力は弱さのうちに完全に現れるからである」(第二コリント12:9)という聖書の言葉に触れ、自分の過酷な運命を受け入れ、キリストを信じる信仰を持ちました。

水野源三さんは生前、次のような言葉(詩)を残しています。

もしも私が苦しまなかったら

神様の愛を知らなかった

もしもおおくの兄弟姉妹が苦しまなかったら

神様の愛は伝えられなかった

もしも主なるイエス様が苦しまなかったら

神様の愛はあらわれなかった


もう一人は星野富弘さん(1946年〜2024年)。星野さんは群馬大学教育学部卒業後、中学校の体育教諭になりますが、クラブ活動(器械体操)の指導中、模範演技で空中回転したとき誤って頭部から転落。頸髄を損傷。首から下の自由を失ってしまいました。1972年、群馬大学病院入院中に口に筆をくわえて文や絵を書き始め、1974年(昭和49年)、病室でキリスト教の洗礼を受けました。

本当に限られた方法での表現活動、残されたわずかな機能を使い、命を削るようにして作品を生み出しました。

水野源三さんは、動くまぶたを使って「まばたきの詩」を書き、星野富弘さんは口に筆をくわえた「花の詩画」を描き続けました。

キリスト教信仰による「絶望から感謝への転換」をされた方たちです。

お二人とも最初は深い絶望の底にいましたが、聖書(キリスト教)に出会って変えられました。それにより、「なぜ自分がこんな目に」という苦しみが、「この身体だからこそ気づけた恵みがある」という深い感謝へと変わり、作品に圧倒的な希望と優しさが宿るようになったのです。


失ったモノにフォーカスするのではなく、今まだあるモノに感謝、与えられたモノに感謝していきたいですね。

最後に、首から下の自由を失った星野さんが、「残されたもの」に目を向け、口にくわえる1本の手紙用の筆(わずか10g)を与えてくれた神様に感謝を捧げた『たった10グラムの筆』という詩の紹介です。 

手と足が 不自由になったおかげで

神様が 持たせて下さった

たった十グラムの 筆だけど

この筆が なければ

私は どうなっていただろう

ありがとう 神様

この十グラムの 筆を

私は 命のつづくかぎり

くわえつづけます

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