マンザナ収容所の下見 ⑤
- Rev. Tsukasa Sugimura
- 10月12日
- 読了時間: 2分
マンザナを訪(おとな)う度に思うこと、それは強制収容所に入った人々の涙と苦しみである。日系二世の数は一世よりも多く、平均年齢18才で全体の60%も占めていた。彼らはアメリカ生まれの、れっきとしたアメリカ市民であった。その市民たる者が、裁判もなく一方的に奴隷のように拘引されていった屈辱は計り知れない。だが、一世の多くは「仕方がない」と言って従った。
収容所生活を体験した二世たちは、鉄条網に囲まれ、機関銃を内側に向けられ、差別され、迫害されてきた親の恥をすすぐために、そしてアメリカこそ本当の祖国だと信じ、彼らの家族や生まれくる子供たちのために、出征していった。その意気込みのゆえに、それまでのアメリカ陸軍史には前例がないほど勇猛果敢に戦った。同僚が戦っている最中、負傷して野戦病院に運ばれた二世兵士たちは、少しでも回復すると、医者の言うことも聞かず、こっそりとそこを抜け出しては前線に向かったほど、彼らの意気込みは鮮烈であった。今、アメリカに住む私たちは、その二世たちの流された血の上に立っているのである。
さてマンザナでは、ラトリンというトイレやシャワールームの建物を見学した後、慰霊塔に向かった。それは敷地内の裏側にある。周りには花崗岩で囲まれたお墓があり、卒塔婆が立てられていたり、石に名前の記されているお墓もあったが、多くは無名だった。かつて一世の知人が、そこには一ヶ月で死んだ彼女の赤ちゃんのお墓があるはずだと言っていたが、ついぞ見つからなかった。
主イエスはエルサレム入城時に、「もしおまえも、この日に、平和をもたらす道を知ってさえいたら」(ルカ19・42)と慨嘆する。主はご自身を救い主として迎え入れることが平和への道なのに、と涙するのである。私たちは慰霊塔の前で、誰もが理不尽に強制収容所に入れられることがないように、そして来年3月に訪れる高校生たちが、この慰霊塔の前に立って、主イエスによる平和への道を模索してくれるようにと、心からの祈りを捧げたのであった。



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