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辛い時にこそ

Rev. Tsukasa Sugimura

 つい先日、以前、僕が奉職していた教会のメンバー、Y姉のご主人がケアーホームに入っていると人づてに聞いたので、久しぶりに電話をしてみた。

 Y姉のご主人は未信者ではあるが、日本の教会を財政的に助けたいというので、Y姉と二人で日本に出かけた。以前、Y姉がツーソンで家庭集会を開いていた時に、聖書研究を通して救われた数人の学生達が献身して牧師になり、日本で牧会をしていたが、その中に財政的に困難な教会があると聞いたからだ。

 70年もの間、毎日ジョギングを続けてきた彼女のご主人が、いつものように東京近郊で走っていた時、とつぜん意識を失って倒れた。様々な検査をしたが原因不明で、急遽日本からUCLAに移送されることになった。その結界、日本脳炎(*蚊の媒介で感染するウィルス性の病気)だと判明した。日本では現在、日本脳炎に罹患する人は殆どなくなったため、その検査をしなかったのだ。

 普通なら、いまだ何の反応も示さないご主人に、「どうして目を覚ましてくれないの? どうして答えてくれないの?」と言いたいところだが、Y姉は否定的なことは一切言わず、夫が聞こえようが聞こえまいが、耳元で、「ここまで私たち家族を励まし、支えてくれてありがとう。あの時はこうだった、この時はこうだったね」と、一つ一つ恵みを数えて感謝を言い続けているのだそうだ。

 使徒パウロは、「 いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい」(1テサロニケ5・16~18)と命じる。順風満帆の時に喜び感謝することは誰でもできる。だが、つらい時、苦しい時、悲しい時には文句や不平の一つでも言いたくなるではないか。そのような時に喜んだり感謝することは、常識では考えられない。しかし、主は喜び、祈り、感謝をせよと命じられるのである。というのも、聖歌の、「のぞみも消えゆくまでに」(604番)の歌詞に、「数えよ主の恵み、つぶやきなどいかであらん」にあるように、主が与えて下さった恵みを数えてゆく時、つぶやきは取り去られ、心に去来するのは感謝と喜びだから、というのである。ここに、我々が苦しみや痛みの中にあっても、それを乗り越えさせて下さる神の知恵がある。そして、それこそが、十字架でいのちを注ぎ出してまでも私たちを愛された主の恵みなのである。

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