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引退に寄せて ⑤

 その賛美は、僕に〈お父さん、天国で待っているよ。続けてこの信仰に生きてね。私はやがて愛する主イエス様の元に帰って行く。だから私のことは心配しないで。でも、あなたはあなた自身のことを心配してちょうだい〉という、僕への励ましのメッセージだったのだ。牧師とはいえ、信仰薄きこの者のために、まもなく天に帰る者として、愛する者に何を残すことができるのか。それはこの世で、どんな宝よりも尊く永続するものが信仰であることを、改めて気づかせてくれたのだった。そのために信仰の尊さ、素晴らしさが賛美となって、家内の口からほとばしり出たのだった。今もその賛美が僕の琴線を揺する。

 さて、話は変わる。10年前のことだ。僕は、オレンジ郡教会とアーヴァイン教会と二つの教会の牧会もあり、疲労のあまり運転中意識を失ったことがあった。その時、僕は決めた。二つの教会の牧会はもう無理だと。とはいえ、アーヴァインは開拓教会で、もしそこを手放したら、まだまだ小人数の群れでは路頭に迷ってしまう。それに経済的に新しい牧師を雇うことはできない。一方、オレンジ郡教会は僕が辞めても教団の教会であるし、アメリカ内外から新しい牧者に来てもらうことはできる。そこで僕は同僚の溝口俊治牧師に相談した。

「オレンジ郡教会を辞めて、アーヴァインに専念したい」と。だが、アーヴァイン教会は教団の開拓教会としてはまだ認可されていなかったので、オレンジ郡教会を辞めるということは、北米ホーリネス教団を辞めることを意味した。

 それから話はトントン拍子に進んで、榊原のぶ牧師がオレンジ郡教会を引き継ぐことになった。彼は北カリフォルニアのフリーメソジスト教団ぺニンスラ教会の牧師として、実に目覚ましい働きをしていたのだったが、2014年末に諸事情があって、すでに教団を辞任していた。次に奉職する教会がまだ何も決まっていないにも関わらずである! それから数週間後、オレンジ郡教会でホーリネス教団南加地区の「新年聖会」があり、講師として招かれていた榊原のぶ先生に、たまたま溝口厚子夫人がオレンジ郡教会の状況を話したことによって、彼の心が直ちに開かれたのだった。これは驚きであり、これこそが神のくすしきみ業と言わずになんと言おうか。ただただ主を賛美するのみである。

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