タッキーのやっぱり聖書でしょ
- Rev. Jun Takii
- 3 日前
- 読了時間: 3分
最近、皆さんは神様から何かチャレンジを受けたことがありますか?何か自分から出た考えじゃなくて、神様が何かをするように語り掛けられたことが。
それは、聖書を読んでいて何か感じたとか、祈りの中で神様がこう言っているんじゃないかとか、また人や状況を通して、などなど。
必ず皆さんは何かしら神様からの声というか、語りかけ、促しというか、チャレンジというか、そういうものを受けると思います。それを聞いた時に、それを感じた時に、その声を無視するか、それとも「はい、私がここにおります。私をお用いください」と応答するか。
これからも何度も言うと思いますが、神様はボクらのAbilityと言うよりは、ボクらのAvailabilityが必要なんだと思います。
自分にはできそうもないことでもとりあえず一歩踏み出してみて、後は神様がどう動かれるのか見る、神にチャンスを与える、ということをやって行きたいと思いませんか。
「何が起きているか説明できるなら、それは人間の力や努力によって成ったのであって、神の業ではない」と、よく言われます。神の業、奇跡というものは、一般常識では説明できないものです。
神の働きですから、その能力は神が与えます。神がこの世で必要なのは、神が物理的に用いることができる器、Availableになっている我々ではないかと思います。
皆さんが今いる場所で、神様の為、また周りの人たちに何かできることがきっとあるはずです。
「Ready, aim, fire (構えて、狙いを定め、撃て)」は、銃を撃つ際の軍隊の号令ですが、ボクたち日本人クリスチャンは伝道に関して慎重になりすぎたり、石橋を叩いても渡らない場合が多いのではないでしょうか?いろいろ検討したり準備したりも大事ですが、「Ready, Fire, Aim(準備して、撃て、それから狙いを定めろ)」という感じで、狙いを定めること(Aim)に時間をかけすぎるよりも、まずは見切り発車でもいいからとりえあず行動(Fire)を起こし、それをしながら軌道修正(Aim)していくくらいが良いのでは、と思うときもあります。
間違えたら、「あの時、神様はこう語ったと思ったんだけどなぁ」でやり直せば良いだけです。
若い時の失敗はリカバリーが効くとか言われますが、若い時の失敗はその失敗を引きずって行かなければならない年月も長い。
歳が行ってからの失敗の方が気楽だと思うようになりました。その失敗を引きずっていく年月が短くて済むから。歳を取ってからもどんどんチャレンジして行きたいと思いませんか?
若い人たちもどんどんミニストリーにおいて、失敗を恐れずに信仰の冒険をして行ったら良いと思いますし、年配の人たちも失敗を恐れずにどんどん信仰の冒険をして行って欲しいと思います。神様に働かれる機会を与えて行ってください。
神はあえてハンデを負って御業を為す方です。ギデオンの300人 (士師記7章)が良い例です。135,000人のメディアン人兵士 に立ち向かったのは、300人のギデオンの兵士たち。元々は32,000人いたイスラエルの兵士を、300人にまで減らすというハンデを神ご自身が負いました。なぜでしょうか?
「イスラエルが『自分の手で自分を救った』と言って、神に向かって誇るといけないから」(士師記7:2)と、あえて兵士を減らしました。
神はあえてボクらみたいな欠けだらけの道具を用いて事を成す。それは道具が素晴らしかったからではなく、それを用いた方である神が栄光を受ける為ではないでしょうか。

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