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タッキーのやっぱり聖書でしょ

最近は、礼拝ではヨハネの福音書、礼拝後や土曜日のバイブルスタディではエペソ書をやっています。

エペソ書前半では、私たちクリスチャンのアイデンティティ(誰であるのか)について書いてあります。

神、イエスキリスト、聖霊「にあって」、「によって」、「にしたがって」、「による」、というフレーズが30以上出てきます。英語では in Christ, according to God, by Christ, というフレーズが多く出てきます。

1章では、私たちが、

4-6節 御父によって選ばれ

7-12節 御子によって贖(あがな)われて(贖いとは、イエスが十字架の死という「代価」を支払うことで、罪の奴隷状態にあった私たちを買い戻し、罪の罰と束縛から解放して神との和解をもたらしたこと)

13-14節 聖霊によって証印を押された

と分けられます。


ここで強調されているのは、私たちがクリスチャンとなったのは、『神の側での働き』ということです。確かに私たちの側で、その神の招きに応答したという側面はありますが、神が選ばれ、イエスによって贖われ、聖霊によって保証の印を押された。今でも神が導かれる。我々の救いは全て神によって全部用意されていたんだ、全て神の側で支払われていたんだ!というのはすごく安心することです。グッドニュースですね。

我々が何か神に何か与えることができたから、私たちが救われることが何か神の側にとってメリットがあって、ではなくて。ただ神の側での一方的な愛やあわれみによって。

しかも、神が私たちを選ばれ救われたのは、いつのことでしょうか?私たちが神を信じた何年か前のことでしょうか?そうではなく、地の基が据えられる以前からだ、と聖書は言います(エペソ1:4-5)。

もちろん神様を信じるのはボクたちの自由意志によって。神様を信じるかどうかは、ボクらの決断次第。でもそれに関わることは全て神の方でしてくださった。神の側での働き、神の側ですべて支払ってくださった。神を信じる信仰さえも、神からのギフトだとあります(エペソ2:8-9)。

まさに恵みです。Grace(恵み)は、よくこう表現されます。GRACEの頭文字を取って、「God's Riches AChrist's Expense」と。「神の豊かな祝福は、キリストが身代わりに犠牲を払ったことによって、私たちに与えられた」という意味です。


自由意志を神は我々に与えた。もしそれが与えられなかったらどうなったんでしょうか?ただのロボットとして神を自動的に愛するようになったのでは?でもそれは神へのホントの愛でしょうか?愛は自由意志がないと意味がないんです。ちょうど神がエデンの園にあの木を置いたように。人間が神に逆らう自由を与えらました。これからはとって食べてはいけないと。

同様に、僕らには神様を選ぶ自由もあるし、選ばないと言う自由もある。愛する自由と愛さない自由がある。選択肢が与えられています。


でも、神が皆さんの人生全てご存知でおられると言うのは、非常に安心できることじゃないでしょうか。地の基が据えられる前から皆さんのことをご存知で、ボクたちが日々とんでもない間違いをすることもご存知で、でも全てをひっくるめてボクらを選んでおられた。

神が選ばれたとはいえ、ボクらが信じないでは救われない。その救いの方法を聞いたことがなかったり知らないのでは、やはり信じることもできない。

やはり伝えて行くことは必要ですよね。まだ聖書の福音(グッドニュース)を聞いたことがない人たちが周りにいませんか?

神の救いを知っていて拒絶するのと、そのことを知らずに結果として受け入れなかった、は別物です。

ボクらを愛し、御子イエスを遣わし、ボクらが天国に行くハードルをすごく下げてくださった神。その為のお膳立てを全てしてくださった神。ただイエスを信じるというだけにしてくださったんです(ヨハネ3:16)。感謝ですね。伝えて行きましょ。

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