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タッキーのやっぱり聖書でしょ

「世の人は我を何とも言わば言え 我がなす事は我のみぞ知る」


これは幕末の志士・坂本龍馬が詠んだとされる、周囲の評価に惑わされず自分の信念を貫く姿勢を表した有名な言葉です。 

「世間の人々が何を言おうとも、勝手に言わせておけばよい。私がなすべきことは、私自身だけが分かっている」、というなかなか力強い言葉です。

でも、龍馬のような一人でもやっていける信念があり精神的強さがある人ばかりではありません。私たちには自分の事を理解してくれる人が必要です。それは、理解者がいてくれるということは、私たちが生きていく上でかなり慰めになるからです。

私たちはこの世で生きていく限り、必ず人と関わりながら生きていきます。人と関われば、必ず誤解や衝突が生じます。こちらの意図を取り違えられたり、悪口雑言を言われたり、私たちが言ってないようなことをあたかも言ったかのように周りに言い広められたり。そこには相手を悪者にする悪意や妬み、足の引っ張り合いなどの心理が働いているのだと思います。


例え周りから誤解されても、そんな中でも一人でも自分の本当の事を知っていて、全て理解してくれる人がいたらホッとしますよね。

昔働いていた会社でこんなことがありました。上司や同僚たちから私が言ってもないようなことを周りに言い広められたことがありました。それは彼らの妬みだったのか、いじめだったのかよく分かりませんが、私をこき下ろすことによって、彼らを良く見せる為の事だったと思うのですが、まったく事実無根の事でした。

それが会社のオーナーの耳に止まり、彼に呼ばれました。

そこで私は自分がそんなことを言ってないということを弁明しようとしたのですが、彼が一言、

「あんたがそんなことを言ってないのは分かっている。俺がそれを知っていれば、それでいいんじゃないのか?」と。

本当にホッとしました。私の仕事に対して、最終的な評価を下す人が、その状況をよく分かっていて理解者でいてくれていた。だったら彼以外の人たちに何を言われようとも気にしなくてもいいんだ、と思えました。


私たちは人から誤解されたら、むきになって怒ったり、弁解をしようとしたりしますよね。誤解されるのは楽しい事ではありませんから。

でも、神を知ってから、私の全てを知っておられる方を知ってから、あまりむきになることは少なくなってきたと思います。それは「神がすべてをご存じだ。神が理解者だ。他の人たちは自分の一部しか知らない」と思えるようになったからだと思います。


旧約聖書の詩編139編に、「神は私の道のすべてを知り抜いておられる」、とあります。だから他人から誤解されようとも、悪く思われようとも、自分にやましいことがないなら、神のもとという安全基地に帰って安らげます。私たちの行いのみではなく、思いをもすべてご存じのお方。この人生において他人からの評価ではなく、最終的にこの方の評価が最も意味があるのですから。

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