タッキーのやっぱり聖書でしょ
- Rev. Jun Takii
- 4 日前
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この日曜日はイースター、復活祭です。主イエスが私たちの罪の為に死なれ、十字架に付けられ、死んで、墓に葬られ、3日目によみがえったことを、私たちクリスチャンが祝う日です。死をもovercame(克服した、乗り越えた、打ち勝った)したのがイエス。
でも、「一度死んで葬られた人間が、3日目によみがえるなんて、そんなことあるわけねーじゃん」と思われる人たちもたくさんいると思います。死んだ人がよみがえるなんてあり得ない、というのは一般的にはごくごく当然の意見だと思いますが、なぜそう思ってしまうのでしょうか?それは、「神様が存在する」という前提で話をしてないからです。神だったら何でもできたはずです。
色々なモノには前提というものがあります。その上で色んなことが成り立っています。
例えばテレビのドラマなどを見ても「このドラマはフィクションです」や、「実話に基づいた出来事です」など書いてある時があります。そういう前提を持って観ると、TVドラマや映画などの観方が変わってくると思います。
それと同様に聖書にも前提というものがあります。それは「神がおられて、全てを創造されて、今でも全てを治められている」という前提においてこの書が書かれている、ということです。だから聖書の中に起こる超自然的なこと奇跡なども、神様というピース、その前提を入れ込めば、何の事は無い普通の事として理解できます。すべてMake sense、理にかないます。「神なんだから、奇跡もされるでしょう」ということになりますよね。
神がおられることは聖書の一番最初に、この聖書の大前提として書いてあります。「はじめに神が天と地を創造された」(創世記1:1)と。
この復活に限らず、「神がおられる」という大前提を無視して聖書を読むと、ずっとボタンの掛け違いで色々とおかしくなってしまいます。聖書に出てくる超自然的な出来事を、自然現象や科学的に実証しようとすると必ず無理が出てきます。神はいないと信じる人たちに、どれだけイエスの復活についての状況証拠や歴史的な証拠があっても、信じてもらえないかも知れません。なぜなら、「神はいない」という前提なのですから。
でも、神がおられることを信じる私たちは、このイエスの復活があったことを信じています。復活することさえも、神であれば可能でしょう。
「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は死んでも生きるのです」とイエスは言われました(ヨハネ11:25)。
次の世、天国はあります。神であるイエスが、また神が書かれた聖書がそう言われるんですから、そうなんでしょう。
よみがえられたイエスを、今日喜び祝いましょう!

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