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主のみ旨とは

 今回は日本ホーリネス教団機関誌『りばいばる』(2025年4月)の記事で、東京聖書学院長の錦織寛師のメッセージである。なるほどと唸ってしまった。

 

 「この2月に、私は沖縄にいました。沖縄ケズイック(イギリスに始まったケズィックは教理や教派を超えて、ホーリネス促進のための霊的運動)で、アメリカ人講師の通訳にあたるためです。ある集会の後、一人の女性が先生に近付いて来ました。彼女は導きを求めていました。自分がこれから先どのように進んだら良いのか確信が持てなかったのです。神の御旨が分からない…それが彼女の苦しみでした。その時、講師の先生は彼女に次のように答えました。


「あなたは主の導き、主の御旨を一生懸命求めているのですね。でも、主の御旨を求めるよりも、主ご自身を求めなさい。あなたと主との交わりが深くなればなるほど、神様の御思いが分かるようになるはずだから」

 

 横でそのことを聞きながら、その通りだなあ、とうなずいてしまいました。

主の御心を求めるのは大切なことです。主に従いたいと願い、御心を求める人を主は喜んでくださるでしょう。しかし、主の御旨、その御業を求める中で、主ご自身を求めることがないとしたら、主はどんなに悲しまれることでしょう。私たちは新しい年度、主を求めたいと思います。また共に主に仕える交わりを楽しみたいと思います。東京聖書学院が主との親しい交わりに生きる器を育てることができるようにお祈りください」


 主イエスは、「まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう」(マタイ6・33)と命じておられる。私たちはとかく、聖書をランダムに開いて自分の思い通りでない御言葉はスキップし、ピッタリ来る御言葉こそが神のみ旨だと信じ込んではいないだろうか。肝心なのはまず主ご自身であることを深く心に留めたいものである。

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