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日々生きる価値

 今回は今年の6月20日の『羅府新報』に載った、ウィンターズバーグ長老教会の清水まお牧師の記事の紹介をしよう。命の価値を考えさせられる内容だ。


 ある日、いつものように何気なくSNSを見ていると、ある動画が流れてきた。それは、一人の若者が道行く人を呼び止めて、このような質問を投げかけるのです。「もし今私があなたに10億円を差し上げると言ったら、あなたは受け取りますか」。質問をされた方の若者は、「はい、もちろん受け取りますよ!」と返答。続けてこう聞きます。「そしたらなんと言いますか?感謝のお礼を言ってくれますか?」「はい、もちろんです。めちゃくちゃ感謝しますよ!」

 そしてインタビュアーは、こう告げます。「けど、その代わり、次の朝、あなたはもう目を覚ますことはありません。それでも受け取りますか?」。そう言われた若者は即答します。「いや、絶対受け取りません」。そう答えた若者に、インタビュアーはこのように伝えます。「毎朝当たり前のように起きることは、それだけで10億円以上の価値があることなんだよ。だから毎日笑顔で起きれれば、それだけで大きな価値があることなんだよね!」。ほんの15秒ほどの短い動画だったけど、こうしてPCのキーボードの上で指を動かている今も、目を覚すことがなかったら、起きていないってことなんだな、と立ち止まって考える。


 マタイ18章に1万タラントの負債を主人に帳消しにしてもらった人物の話がある。その負債は小国の国家予算にも匹敵する額であるが、赦された理由は、その人物が、ひれ伏して哀願した結果、主人が彼を憐れんだからであった。

 この莫大な額の赦しとは、〈神の国の喩え〉の話であり、命そのものを指す。神から莫大な宝のような命を与えられていながら、その価値を忘れ、感謝もせずに漫然と生きているのがお互いではないだろうか。その宝とは、神の憐れみから来る〈永遠の命〉のことであり、その価値は無限大である。神はそれを日々私たちに注いでくださっていると考える時、私たちは神の憐れみを忘れてはいけない。日々生きること自体が、感謝をもって神に生きることなのだから。

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