引退に寄せて ②
- Rev. Tsukasa Sugimura
- 4 日前
- 読了時間: 2分
「ノース・ウェスト・オリエント航空の出口で、大きな茶色のスーツケースに白いビリーグラハム大会の横長のスティッカーが目印です」と言うと、間もなく迎えに来てくれた。もし彼と連絡がついていなかったら、僕はどうなっていただろうかと思うと、神様の憐れみ深いご配慮を讃えずにはいられない。その夜、どこに泊まったのか覚えていないが、以来、ブライアン先生には恩がある。翌日、迎えに来るはずの牧師が、ようやくピックアップに来てくれて、その日は焼けるような暑さの中を、最初の赴任先、サンファナンド教会に向かった。
僕は、この最初の赴任先での緊張が、今でも思い出されて戸惑うことがある。何せ新任の牧師である。以前、北加サンタクララ教会を母教会とし、信徒として歩んで来たとしても、当時は学生であり、役員としての経験もなければ、牧者の働きの何たるかも知らない。せめて主任牧師のもとで副牧師として仕えるのであれば、少しは気が楽だったと思うが、サンファナンド教会の日語部は少人数だったから、牧師二人も置けるはずもなく、もとより教団にはそのような余裕もなかった。だがとにかく、そのような中、皆さんは温かく迎えてくれた。
いちばんの苦労は、毎週のメッセージである。最初は自分の証しなどでやり過ごしたが、それが尽きると、今度は聖書から語らなければならない。だが、メッセージは聖書を読み、机に座っていれば生まれて来るというものではない。そのため、近くの韓国人経営の祈祷院で月曜日を丸一日過ごし、祈りと断食でメッセージに取り組むのだが、参考書もコメンタリーもほとんどない中で、時間だけが無為に過ぎて行った。こうして毎日曜に講壇に立つわけだから、メッセージはまとまらない、ただあたふたするだけであった。ある時、ついにK信徒さんから、「先生、今日は何を語ったんですか?」と二度も言われてしまった。もちろん弁解の余地もない。そんな日の翌日、月曜日は文字通りの「ブルーマンデー」であった。月曜日が怖いのである。それが今もサンファナンドでの僕の心痛む思い出である。メッセージは、あれから44年経った今でも腐心しているし、構成・内容に思い悩むことが多い。実に、神のお言葉である聖書のメッセージは生き物であり、牧者にとっての絶えざる闘いの一つである。



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