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引退に寄せて ④

 手術以後、家内がもらい受けた心臓は、他人からの移植なので拒否反応が起きないために免疫抑制剤を飲まないといけない。一回でも忘れたら、即刻、医師に連絡しなければ命に関わるほどのものだ。それから10年を迎える頃、薬のせいであろう、腎臓がやられてしまい、人工透析が必要になった。さらに、20年目に宿痾(しゅくあ)の皮膚と骨のガンに侵されてしまった。その間、とにかく僕は家内に寄り添い、仕えようと思った。ところが、いくらそうしたいと思っても、最後の一年は5分ごとに、水が欲しい、背中が痒い、呼吸が苦しいと訴えてくる家内の叫びに、僕は心身ともに限界を覚えていた。それに家内の母が寝たっきりで、二人の食事、日ごとの通院、教会の仕事もあった。

 ある日、家内が僕を呼んだ。夜中の眠っている間は良いのだが、日中は絶えず声がかかる。台所を片付け、ようやく一休みしようと思ってカウチに横になった時だった。その時、僕は家内の声を無視した。家内はまた叫んだ。家内はすぐにも僕の助けを必要としていたのだったが、それを重々知っていて僕は叫んだ。「聞けね!」(聞こえない)。それを聞いて家内は黙ってしまった。ところが、その直後、僕は心が痛み、家内の所に行って、「節子ごめんよ」と言って、泣いて家内に謝った。本人にしてみたら、どんなに苦しいだろうか。辛いだろうか。その直後、家内は言った。「お父さん、大丈夫よ」と。もう末期が近いというのに、一体、何が大丈夫なものか! だが、僕はやがて、家内の言った言葉の真意を知ることになる。それは僕を励ます一念からきていたということを。

 2011年の暮、家内は移植者特有のガンに罹っていて、もう命がない、とドクターから宣告された。僕はその宣告を、まず子供達に伝えることにした。彼らには、幼い時から何につけ、大人に話すように話してきた。子供と一緒に祈るためであり、子供の祈りには力があるからだ。彼らはおいおい泣いた。僕も泣いた。その夜、家内に話した、「節子、もうあまり命が残されていないって、さっきのドクターから言われたよ」。家内は突然のことで驚いた顔つきをしていたが、間もなく、讃美歌270番「信仰こそ」を歌い始めたのである。家内にはすでに救い主イエスのみ元に帰る心の備えが出来ていたのであった。

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