長島茂雄逝く
- Rev. Tsukasa Sugimura
- 7月27日
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更新日:7月27日
今回は、惜しくも6月3日に89才で召された長島茂雄の追悼記事「華のあるプレーで魅了」からの引用である(『羅府新報』2025年6月6日付)。
「長嶋茂雄さんのプロ野球での17年間の現役生活は、色とりどりのエピソードで彩られている。東京六大学リーグの本塁打記録を更新し、1958年に黄金ルーキーとして巨人に入団。デビュー戦で国鉄(現ヤクルト)のエース金田正一さんに4打席4三振と派手にやられたが、打率3割5厘、29本塁打、92打点、37盗塁で本塁打と打点のタイトルを獲得し、新人王に選ばれた。スタンドに運びながら一塁を踏み忘れた9月の「幻の本塁打」がなければ、打率3割、30本塁打、30盗塁の「トリプル・スリー」を達成していた。
昭和天皇が初めてプロ野球を観戦した1959年の天覧試合(天皇臨席)では、阪神の村山実投手からサヨナラ本塁打を放ち、大舞台での強さを見せつけた。その後「打倒長嶋」に燃えた村山さんとのライバル対決はファンを沸かせた。三塁の守備では華麗なランニングスローが見せ場だった。隙あらばホームスチールも仕掛けた。入団1年目から現役最終年までずっと三塁手のベストナインに選ばれ続けた。目の離せない千両役者だった。1974年に引退を表明し、10月14日が引退試合となった。ダブルヘッダーの第一試合で最後のアーチとなる通算444本目の本塁打を放ち、その直後に後楽園球場で場内を一周してマイクに立ち、「わが巨人軍は永久に不滅です」という名せりふを残してバットと置いた。東京ドームの正面入り口付近には、空振りしてヘルメットを飛ばす長嶋さんのレリーフが飾られている。空振りさえも絵になる男だった」
聖書の最高の見せ場といえば、何と言っても主イエスが最初に十字架で叫ばれた、「父よ、彼らを赦したまえ」(ルカ23・34)ではあるまいか。いったい、誰が自分を意味なく殺す者に対して一方的に赦しを宣言することができるだろうか。だが、それは救い主の嘘偽りのない本心を示す最高の場であった。主が歴史を塗り替える逆転満塁サヨナラホームランをカッ飛ばした瞬間であった。




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