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黙々とアメリカに仕えた人

 今回は戦時中のシアトルで、アメリカに献身的に尽くした日本人のお話だ。

「シアトルにフランク・シゲムラという日系学生がいた。彼はアメリカ市民としてミネソタのカールトン大学から、陸軍当局に兵役を申し出たのであるが、日系人であるが故に拒絶されてしまう。だが彼の担当教授が陸軍当局へ強烈な抗議をしたことにより、彼はついに受け入れられ、勇躍して442部隊の一員としてイタリア戦線へ出兵し、そこで名誉の戦死を遂げる。後日、カールトン大学は戦死した遺族へ手厚い記念帳を送ることにしたが、その企画が父の耳に届くや、彼は丁重な礼状と共に金100ドルを大学に送り、引き続き大学の建築基金等に1000ドル以上送った。大学としては、そのような大金を献金してくれたこともあり、お礼方々大学総長と同窓会長ともどもにシアトルを訪れたのである。フランクの父、重村氏は実はシアトルのユニオン・ステーションの赤帽であった。彼は39年もの間、その駅の赤帽として労してこられたのである。彼は愛する子をアメリカのために捧げても、少しも誇ることはなかったし、ただ黙々としてアメリカに仕えてきたのであった。重村氏と大学総長との対面は実に感動的であったという。日系人の中には、父として重村氏のような生き方をしてこられた人もいたのである」(霜鳥武夫『米国の生態を語る』より)

 戦時中のこと、重村氏は自分の子の行く末を思う時、生きる道はアメリカだと考えたのだ。息子のフランクも、いくら日系人同胞12万人が強制収容所に入れられても、自分の祖国はアメリカと信じて出征したのだった。だから、重村氏はアメリカという国のためにむしろ積極的に生きようとされたのである。

 パウロは「わたしたちの国籍は天国にある」(ピリピ3・20)と宣言するように、私たちの祖国は天にある。しかし私たちは、その前に与えられたそれぞれの地で、主に喜ばれ、福音を手渡すために、黙々と人々に仕えているのである。ちょうど、主イエスが天に帰るまで、最後まで私たちに仕えられたように。

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