タッキーのやっぱり聖書でしょ
- Rev. Jun Takii
- 1月18日
- 読了時間: 3分
更新日:2 日前
イエスの地上での生き方は、本当に考えられないようなへりくだりの人生だったと思います。神の力を使って偉大な御業をされてきたイエス。しかし何もこれ見よがしに、神としての力をひけらかす為に用いたのではありません。
たくさんの人を癒し、たくさんの人を助け、たくさんの人をに奇跡を見せてきたイエス。しかし、彼が自分の力を人に誇るために、自分の利益を図るために奇跡を行ったことが一度でもあったでしょうか?
イエスが十字架にかかったときに、横の犯罪人の一人がイエスに向かって言った言葉があります。
「お前が神なら自分自身を救ってみろ」と(マタイ27:40)。
その侮蔑とも、罵りとも言えるその男の言葉。彼はイエスを罵りながら、実はイエスに最高の賛美の言葉を唱えたのでした。
「人は救えるが自分は救えない(マタイ27:42)」、これこそ自分を捨てた無私の神の姿ではないでしょうか!
人のためなら何でもする、天の地位を捨てて、この地上に人として来て一番低い位の者となった。仕える者となった。
神なんだから生まれる家とか職業とか家計とか全て選べたはず。それを最下級のところにあえて設定した。
そして自分の力を自分の利益を図らんが為に行った事は一度もない、という完全に無私無欲な人。
イエスに人が羨む家があっただろうか?空の鳥には巣があり、狐には穴がある、しかし人の子イエスには枕するところもない、と言われ(マタイ 8:20、ルカ 9:58)、税金を払うべきかと問われた時に、自分には手持ちの金がなかったからなのか、湖の中の魚の中にコインがあることを知って、それを取りなさいと言われました(マタイ17:27)。
自分がこれから十字架に向かうと言う時に、何か財産があったのであれば、それを母マリアにの生活費のために渡すこともできただろうに。もしくは誰かに託して母の生活費としたことでしょう。しかし、彼にはその余裕それさえもなかったから、だから弟子のヨハネに、母マリアを養うように頼んだのでしょうか(ヨハネ19:27)。
神は天の栄光を捨ててこの地に来られた。それまでいた地位を捨てるというのはとても大変なこと。
皆さん何かの理由で自ら降格をしたことありますか?もしくは何か今までの地位を捨てて、下の地位についたことなどありますか?
全てを作られた創造主が、赤ん坊としてこの世に生まれたなどと言う事は、考えられないようなへりくだりではないでしょうか?
それだけではなく、この世のいろんな人たちから貶(けな)され馬鹿にされ、十字架に向かう際には唾をかけられ、身体中をボロボロに痛めつけられ、結局最後には十字架について群衆の目の前で血だらけになり見せしめとなり死なれたイエス。自分の最期の姿を人の前に晒(さら)すという、人間としての尊厳も取り去られた姿。どんなにそれは普通で考えたら耐えられないことだっただろうか。一番上にいた神がへりくだられた。天のどこのポジションから落ちて十字架につかれたのか。それを考えたら、イエスのへりくだりはとんでもないことです。
他人の事に関して熱心に溢れ、自己に関しては甚だ冷淡、そんなお方が治めておられる天国は素晴らしい場所に違いないですね。



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