タッキーのやっぱり聖書でしょ
- Rev. Jun Takii
- 1月25日
- 読了時間: 4分
更新日:2 日前
ヨハネ3章の冒頭で、イスラエルのパリサイ派の中でも教師中の教師であり、イスラエルの議会サンヘドリンの議員でもあったニコデモが、夜イエスを尋ねて来る。
なぜここでイスラエル国内の宗教的また政治的に最重鎮の一人であるニコデモが、直々にイエスに会いに来たのか?
最近注目を集めていたイエスがしてきた奇跡を噂で見聞きし、本当にイエスに興味があったのかも知れない。でも、もしかしたらイエスがこのすぐ前のヨハネ2章で宮でしてきた超過激なことを知り危険人物と判断し、「もう黙っちゃおれん!」と義憤に駆られてイエスをたしなめ、お灸をすえる為にパリサイ派を代表して来たのかも知れない。2章後半ではエルサレムで過ぎ越しの祭りという大きなイベントあり、その期間イエスは多くのしるし、奇跡をした、とある(2:33)。そこでイエスは宮に入って、鞭で羊や牛を追い出し、両替商たちの金を散らし、台を倒すという大暴れぶり(2:15)。さらに「この神殿を壊してみろ!わたしがそれを三日でよみがえらせる」との過激な発言(2:19)、などなど。
「おい若造、お前確かに色々とやってるらしいけど、いい加減にしとけよ」という気持ちがニコデモの内心にあったのかも知れない。
その年長のニコデモに対してイエスは、「人は、新しく生まれないと(上から生まれないと)神の国を見ることはできない」と言われた。
ここで注目すべきは、これらの言葉をイエスが誰に対して言っているのか、ということ。その辺のただのユダヤ人ではない。イスラエルの議会であるサンヘドリンの議員、パリサイ派の最も上の人でイスラエルの「the teacher」と言われていたニコデモ。パリサイ人は愚直に律法を守ることに命をかけていた人たち。そのニコデモに、「人は、律法を守ることでは神の国を見ることはできない」と、パリサイ派の努力を否定するようなイエスの言葉。
さらに彼に対して、「あなたはイスラエルの教師なのに、そのことが分からないのか」とまで。
そして、「モーセが荒野で青銅で作った燃える蛇を上げた時に、イスラエルの民は救われた。それと同様にわたしも上げられなければならない。それを仰ぎ見た人が救われるんだ」、と続けて言われた。
モーセが上げた燃える青銅の蛇(民21:9)は「罪、呪いが裁かれている」ことを表す。同様にイエス自身がこれから「上げられる」、とニコデモに言う。この時、ニコデモはその言葉の本当の意味が理解できただろうか?イエスの持っていた秘密の計画を。それは人類の為に十字架上に上げられ、イエスご自身が罪となり呪われた者となり死ぬこと。
この夜の会話から数年後、実際に十字架に上げられたイエス。十字架の上で我々の為に、身代わりとして罪とされ裁かれたイエス。それを見たニコデモはその時、イエスに初めて会った夜の会話を強烈に鮮明に思い出したのだろう。
パリサイ派など宗教家たちの最大の敵だったイエスが極刑に処されて、当時イエスからあれだけ批判され対立していたパリサイ派は、さぞかし喜んだことだろう。しかしパリサイ派の、しかもその中のトップのニコデモだけは、没薬と沈香(じんこう)を混ぜ合わせたモノを100リトラ(33-34キロ)も持ってきた(ヨハネ19:39)。そしてニコデモは、アリマタヤのヨセフと共にイエスの遺体を引き取り、大量の香料(没薬と沈香)を携えて手厚く埋葬した。ニコデモは、その十字架でボロボロになったイエスの亡骸を見た時、もう自分の身分や地位など顧みず、なりふり構わず、居ても立っても居られずにイエスを埋葬するために動いた。反逆者として、しかも当時の極刑(きょっけい)と言われた十字架で処刑された男を葬るのには、贅沢すぎる量の没薬と沈香の量を持って。
通常は1~2キロほどが平均的なユダヤ人の埋葬で用いられた量だったのに、ましてや十字架につけられて処刑された男に対してのこの30キロ以上の没薬と沈香はありえない量だった。30キロ以上の没薬と沈香というのは、当時の国のリーダーや王室の誰かが亡くなった時に使用する量だったそうだ。しかも、これは非常に高価で30キロ以上ともなるとかなり高価で、人が一生涯で稼ぐ賃金の総額よりも高かったらしい。ニコデモは普通の人に比べたら裕福だっただろうけど、それでもかなりの出費だったはず。
これはニコデモからイエスに対する、最高レベルの敬意と礼拝の表れではなかっただろうか。極刑の十字架にて極悪人として殺されたイエスを、王が亡くなったかのように手厚く葬ったニコデモ。
教会伝承ではニコデモはイエスの復活後、クリスチャンであることを公にした、と言われている。ニコデモもイエスと出会って、律法の束縛から解放され、イエスを信じることによって神の国を見ることができた一人だった。



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